心に言葉が入る隙間を空ける【坊さんのナムい話・23】

西日本新聞 くらし面

 私もさまざまな葬儀に接しますが、年齢が若いほど悲しみが深いことが多いようです。特にわが子を失った悲しみは特別です。私もひとりの親としていたたまれなくなり、僧侶としてどんな言葉をかけていいのか辛(つら)くなります。

 親が子を失う悲しみは現代に始まったことではありません。仏典にもこんな話が出てきます。キサーゴータミーという母親が子を亡くしました。彼女はお釈迦(しゃか)様に息子を生き返らせてくれと懇願します。するとお釈迦様は彼女に「一人も死人が出たことのない家からケシの実をもらってくるように」と言います。ここでのケシの実とはスパイスの一種で、どの家庭にもありました。彼女は町中の家々をたずねます。しかし、ケシの実はどの家にもあるけれど、死人を出していない家はありません。そして彼女は、死は避けることのできない万人の苦しみであることを知るのでした。

 お釈迦様は、人が死ぬのは普通のことだからあきらめなさいと言っているわけではありません。悲しむ母親もまた、死を避けられない存在であることを教えたのです。このお話で私がお釈迦様をすごいと思ったのは、母親の悲しみを否定せず行動を促したこと。悲しみで心がいっぱいになった人にはどんな言葉をかけても届きません。届けるには、心に言葉が入る隙間を空ける必要があります。そのためによく「早く忘れて」「仕方ない」「時間が解決するよ」と悲しみを否定しがちです。しかし、お釈迦様は彼女の「生き返らせて」という言葉すら否定しませんでした。悲しみでいっぱいな心ではなく、行動から気付かせたのです。

 私は言葉をかけられない深い悲しみを持った人には、行動を促すようにしています。後悔につながらないよう、決められたことをできるだけ丁寧になぞってもらいます。その意味で「型」のある儀式はとても有り難いものです。型通りの行いをきちんと行うことで、少しずつ言葉が入る隙間が空いてきます。言葉で心を癒やすのはそれからです。

 悲しみに沈んでしまった時は、周囲の対応が大切なのかもしれません。目の前の悲しみを否定せず、少しだけ未来のことを考えながら接する。他者とのつながりこそが悲しみを癒やす何よりの手段だと思います。

 (永明寺住職・松崎智海 北九州市)

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