笑いにこだわり続けた「ひょうげもん」 小松政夫さん死去

西日本新聞 社会面 川口 安子

 小学校の先生、サラリーマン時代の上司、酒場で隣り合わせた客…。小松政夫さんが茶の間をわかせたギャグは、ほとんどが身近な人からヒントを得た。「人との出会いが人生を形づくる」。持ち前の観察眼で日常を「笑い」に変え、地道な努力で磨き上げた根っからのコメディアンだった。

 「ニンドスハッカッカ」は小学校時代の教師の口癖。体をくねらせて「知らない、知らない」と叫ぶギャグはセールスマン時代の課長のしぐさをまねたものだ。「もうイヤ、こんな生活」は、父の急死でどん底に陥った青年時代の苦労を昇華させた。

 原点は、博多のど真ん中で過ごした少年時代、自宅で開いた「マサ坊演芸会」だ。櫛田神社裏の広場でバナナのたたき売りの口上を覚え、近所の友達に披露すると大喝采。喜劇俳優を夢見て、19歳で上京した。

 金銭面で養成所入学を諦めて車のセールスマンになったものの、21歳で見つけた広告が運命を変える。昭和の大スター、植木等さんの付き人募集だった。

 「いつもおやじさんを喜ばせることだけ考えていた」。植木さんがせきをすればお茶を出すこまやかさが評価され、舞台やテレビ番組に出演する機会を得た。

 東京都内の自宅前まで伺ったことがある。住宅街の中の、想像以上に質素なたたずまいに驚いた。小松さんは説明した。「おやじさんがここに住めと選んでくれた土地なんです」

 デビュー当時、九州男児らしい性格となよなよした芸風とのギャップに悩んだ際も、支えになったのが真面目な性格ながら「無責任男」を演じた植木さんの姿だった。

 「歌もダンスも歌舞伎も何でもこなせるのが喜劇人と教えられた。今もおやじさんの背中を追っている」

 高い演技力で俳優としても評価され、小松さんは晩年まで舞台に立った。笑いにこだわり続けた「ひょうげもん」(博多弁でひょうきん者の意味)だった。 (川口安子)

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