中村八大編<490>ネパールの旅

 中村八大は世界中を旅している。その中で、印象に残った旅の一つとして1971年のネパールを挙げている。中村の転換点を示す同年の曲「太陽と土と水を」はこのときの体験をモチーフにしているといわれる。

 「四十歳にもうすぐというそのころのある日、私は自分の歩んできた音楽の道が、何もかも終わってしまったような気がしてならないのは何故だろうかと、つくづく考え込んでしまった」 

 自著に記している思いを抱え込んでの旅だった。糖尿病が発症したころだ。首都のカトマンズ近郊の人口千人余の村に住んだ。夏祭りの時期で、祭りばやしの一行にはだしで付いて回った。かねや太鼓や歌。生活に密着した音楽に触れた。

 「久しく失っていた生きている歓(よろこ)びと言おうか、調性の中で、やわらかくしめつけられていた文明社会の掟の息苦しさの中から、ほっとはい出た感じで、でき得ることなら、そのまま農村に住み着いてても良いと感じた」

 「気が狂うほど、働きづめだった私の四十年間は、いったい何だったのだろうか(略)この旅から帰国すると、私は一切の仕事を捨ててしまった」 

    ×   × 

 ネパールの旅の中で重ね合わせた風景があった。 

 戦中、戦後を過した福岡県久留米市での生活だ。本紙へ寄稿した随筆「私の心の久留米」の中で次のように書いている。 

 「私は異国にいるという感覚をすっかり忘れてしまい、その生活は久留米での祖母たちの生活とクロスした(略)人間の基本的生活のなりあいを自らの生活の中で受け止めたことが、いまでは貴重な体験として私の心の大事な一ページになっている」 

 中村は86年に長崎県波佐見町で、ピアノのソロコンサートで開いている。自ら楽しむようにクラシック、ジャズ、サンバなど多彩な音楽を演奏した。最後の曲は「ほとんど日本で演奏されていない」と前置きした上で、中国のピアノ協奏曲「黄河」を弾いている。 

 「音楽とは私にとって何なのか」 

 「音楽とは人類にとって何なのか」 

 70年以降、病気とともにこういった命題とも格闘していた。生まれ育った中国の青島に、思春期を過した久留米。二つの故郷が中村の内面に点滅したのではないだろうか。それは単に場所的なものではない。ヒットやレコード売り上げなどといった商業性とは離れた世界、つまり純粋で生活のそばにあった音楽の原点回帰への道でもあった。

  =敬称略

  (田代俊一郎)

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