まるで観光案内 第1次大戦後の刊行物「南洋群島概要」

モノが語る戦争 嘉麻市碓井平和祈念館から(24)

 ヤシの木立に高床の建物、その向こうに広がる海。南の楽園の観光案内のようなリーフレットは第1次大戦後の1921年から日本が統治していた南洋群島の概要を記した刊行物である。昭和初期に作成されたと思われる「南洋群島概要」には、気候風土、人種風俗、行政系統、産業、貿易、郵便電信などの情報が写真や統計図表を交えてまとめられている。

 マリアナ、カロリン、マーシャルの群島から成る地域は、第1次大戦まではドイツの植民地だった。地図を見ると、東京からマリアナ群島のサイパンまでは1350マイル、そこからカロリン群島のトラック諸島までは660マイル、その西1150マイルのパラオ島は東京からは1725マイル。横浜、神戸からの往復航路や連絡航路も就航し、往復日数は17~53日ほどを要したようだ。

 日本は日英同盟を口実に第1次大戦に参戦した。英国との同盟は同盟国が2カ国以上と参戦の場合には参戦義務を持つ軍事同盟でもあった。日本軍は小笠原諸島の南に広がる独領の島々を占領し、大戦後に国際連盟のもとで作られた委任統治制度により、赤道以北の太平洋で敗戦国ドイツの植民地の統治を受任した。

 パラオ諸島に南洋庁が置かれ、群島内の行政を担っている。教育は日本人の児童は小学校、島民は公学校と分けられ、実業学校、大工養成を目的とする木工徒弟養成所などもある。主な産物は、砂糖、ヤシから採れるコプラ、リン鉱石などで、水産試験場や産業試験場もあった。

 庄籠雅子(飯塚市)は、諫早農学校の教師をしていた父が大学卒業後にパラオの試験場に赴任していたことを聞き覚えている。現地の樹木で木炭を作ることに成功し、木炭やかつお節を日本本土に送っていたという。父にとって第1次大戦後のパラオの暮らしは楽しいものであったようだ。

 しかし、41年の日米開戦によって南洋群島は激戦の地へと変貌していった。米軍に占領されたサイパンやテニアンからは多くの爆撃機が飛び立ち本土空襲が繰り返された。

(嘉麻市碓井平和祈念館学芸員 青山英子)

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 嘉麻市碓井平和祈念館が収蔵する戦争資料を学芸員の青山英子さんが紹介します。

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