100年前のドイツ兵の子孫 時を超え大分で墓参り「感謝」伝える

西日本新聞 大分・日田玖珠版 吉村 次郎 井中 恵仁

 第1次世界大戦中に捕虜として大分市の収容所に移送され、病死したドイツ兵の子孫が、1世紀の時を超え、同市で念願の墓参りを実現させた。日本着任を機に足跡を探し、友人らの協力を得て、先祖の眠る地を突き止めた。地元住民らが墓を維持管理していることに感激し、来年の墓参りにも意欲をみせている。

 子孫はドイツ大使館の駐在武官のカーステン・キーゼヴェッター大佐(55)。曽祖父の弟のユリウス・キーゼヴェッターさんは中国・青島近くでホテルを経営していたが、大戦に伴い現地で召集された。日本軍との交戦で捕虜となり、同市に移送。1917年に病死した。37歳だった。

 カーステンさんは子どもの頃から、ユリウスさんはやる気に満ちて愉快な人で、日本で亡くなったことを家族から聞かされていた。「何が起きたのか。墓があるなら行きたい」。2018年9月に日本赴任を命じられ、足跡を探し始めた。

 まず相談したのが、防衛省防衛研究所で同じ研修を受けた海上自衛隊の本名龍児1等海佐。本名さんらは資料などを調べ、別府大文学部の安松みゆき教授の論文にたどり着いた。

 論文や本名さんらによると、ユリウスさんが移送された収容所は1914~18年、同市の小学校の敷地内にあり、多いときにはドイツ兵捕虜約210人がいた。ドイツ兵は児童と交流し、遠足に出かけることもあったという。ユリウスさんは市内の県桜ケ丘聖地(旧陸軍墓地)に同じドイツ兵と並んで眠り、シベリアに出兵した日本人戦没者とともに、県遺族会連合会と地元住民、県などが100年以上墓を守り続けてきた。

 昨年12月、カーステンさんは初めてユリウスさんの墓を訪れた。本名さんによると、カーステンさんは墓に刻まれた文字を確かめ、ほっとした様子をみせたという。

 11月13日には大使館の公式行事として初めて墓参を執り行った。両国の鎮魂歌が流れるなか、花輪をささげ地元住民らと桜の苗木を植樹した。第2次世界大戦後の1946年、中国から引き揚げる途中に父が亡くなった同会の末光秀夫会長(84)も参加し「戦後75年の平和は戦没者の犠牲の上にある。戦争で亡くなった身内のお墓を訪ねたい気持ちに国境はない」と話した。

 カーステンさんは「お墓はとてもきれいに手入れされている。これまで墓を守ってきてくれたことに本当に感謝する」と敬意を表した。その上で「来年以降も、新しい伝統として(墓参りを)続けることができたら」と語った。 (吉村次郎、井中恵仁)

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