【QODを考える】 関根千佳さん

◆看取りの場と時大切に

 「人生の質」をQOL(クオリティー・オブ・ライフ)と呼ぶ。だが、今後の高齢多死社会において、われわれが探求すべきはQOD(クオリティー・オブ・デス)という「死の質」かもしれない。すべての人がいつか必ず迎える死。それを豊かで幸せなものとするためには、何が必要なのだろうか?

 福岡の母が10月に亡くなった。最初に倒れてから8年、介護施設に移ってから2年半が経(た)っていた。緊急入院の連絡を受け、急遽(きょ)、横浜から駆け付けた。主治医から「今週がヤマかも」と告げられ焦る。先週まで元気だったのに。

 ずっとそばにいたいのだが、コロナのため面会時間は1日10分に制限されている。それでは福岡にいる意味がない。悩んでいたら、病院が家族も泊まれる部屋に変更してくれて、そこのソファベッドで1週間を過ごした。

 最初の数日間は母の意識も明瞭で、共に人生を振り返ることができた。作ってきた人形、九州各地の旅の思い出など、たくさん話した。「いろいろあったけど、今となっては楽しかった」「いい人生だった」と繰り返し語っていた。5日目からは会話ができなくなったが、聞こえているはずと、私は思い出を語り続けた。夜は懐かしい歌を歌った。7日目に、母は眠るように亡くなった。満足し、納得して、天に昇っていったようだった。

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 この経験は、私に多くのことを教えてくれた。良い死とは、いわば「人生の完成」である。その瞬間を満足して迎えるには、逝く人のそばに親しい人間が寄り添い、語りかける時間と場所が大切だ。完全看護の病院であっても「家族が泊まって看取(みと)れる部屋」は必須だと思う。

 また見送る側が現役世代の場合、「テレワークできる環境」があれば、ずっとそばにいられる。母の病院はWi-Fiの代わりに有線LANの部屋があり、オンラインで東京の会議に参加できたので、心を残して上京せずに済んだのは大変有り難かった。

 子どもが生まれるときと違い、死は突然やってくる。覚悟していたとしても、現役世代が全ての仕事をキャンセルして心置きなく看取りに入るためには、周囲の理解や制度設計も必要だ。出産休暇と同様に「看取り休暇」の制度がほしい。忌引は亡くなった後の休暇である。意識のあるうちから臨終までの例えば10日間を一緒に過ごす時間として確保するほうが、お互いに幸せなときを迎えることができるのではないだろうか。

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 母の葬儀は家族だけのささやかなものではあったが、昨年、母の人形の個展で作っておいた「年表」を飾った。母と何度も話しあって作った、いわば人生の総決算だ。

 私は葬儀の席を飾ったその年表を見ながら、自分も作っておこうと決めた。大きなイベントでなくていい。訪れて感動した海や、当時の飼い犬の名前など、人生を振り返ることができればいいのだ。「山あり谷ありで、苦しいこともあったけど、結果オーライだよね」「楽しかった、ありがとう」。そう言い残せるような、自分のための年表だ。

 これから日本は未曽有の高齢多死社会を迎える。あなたも私も例外ではない。いつか必ず来る日のために、年表や遺影や人生を振り返る対話の準備をしておこう。この世に生を受けたときは、自分で環境を選べなかった。だが死に際しては、少し準備をしておくことができる。

 自分自身と、そして親しい人と、心静かに人生を振り返る。そんな最後の対話の時間を、誰もが持てる社会でありたい。それが、人生の完成としての良い死、すなわちQODにつながると思う。

 【略歴】1957年、長崎県佐世保市生まれ。九州大法学部卒。81年、日本IBMに入社。ユニバーサルデザインの重要性を感じ、98年に(株)ユーディット設立。同社社長、同志社大教授など歴任。著書に「ユニバーサルデザインのちから」など。

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