中村八大編<491>この星で出会った

 JR久留米駅(福岡県)前の広場に1999年に設置されたからくり時計がある。郷土が生んだ発明家、からくり儀右衛門(田中久重)を顕彰するモニュメントだ。その時計から定時になれば中村八大の「上を向いて歩こう」が流れる。ほかには松田聖子の「赤いスイートピー」やチェッカーズの「涙のリクエスト」など地元にゆかりのある音楽家の曲がセットされている。

 中村は31年に中国の青島で生まれ、13歳で中村家の故郷、福岡県久留米市に帰ってきた。音楽家を目指して18歳のときに上京する。その旅立ちはこの久留米駅からだった。 

 「いよいよ僕自身の人生が、僕自身の未来が、僕自身の手で限りなく開けてゆくのだ」 

 中村の予告通りに人生を、未来を、自らの手で切り開いていく。「上を向いて歩こう」「遠くへ行きたい」「黄昏(たそがれ)のビギン」など現在でも歌い継がれる数々の名曲を生み出した。それは天才ゆえに成せたことではあったが、多くの人との出会いもあって誕生した。

 ×   × 

 中村の遺作と言われているのが「ぼく達はこの星で出会った」(作詞・山上路夫)だ。この曲は91年の第一回古関裕而記念音楽祭で金賞を受賞した。宇宙的な広がりを持つ、ある悟りに達したような奥深い名曲だ。この曲を聴いていると、自著に記す中村の幼少年期に考えていたことに重なる。 

 「いつの間にか父母も亡くなり、私も亡くなり、子供も子孫も亡くなり、どこかにもくずやチリのようにただよっている無機物、それが私自身であり、全人類あるいは、全宇宙の最後の姿であるということ。宇宙にただようチリになる前の一瞬の姿が私自身である」 70年代以降、闘病などによって最前線から退いた生活の中でもこういった思いは強弱をつけながら頭の中に想起されただろう。人の生は果てしない悠久の時間に比べればほんの一瞬である。それだからこそ人との出会いは愛(いと)しい-とのメッセージでもある。 

 青島でのドイツ人のピアノ教師、久留米での学友の本間四郎、東京での永六輔、坂本九…。中村はこの星で出会った数多くの人々への追憶と感謝を込めるようにこの曲を仕上げて92年、61歳で死去した。中村は人生を集約するように語っている。 

 「多くの音楽を持つことが多くの人の幸せの量と比例する」 

 =敬称略

 (田代俊一郎)

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