ある朝、突然死刑台に 一瀬圭司

西日本新聞 オピニオン面 一瀬 圭司

 クリスマスソングが街にあふれるこの時期、法務省の担当記者は毎朝身構える。近年、歳末の死刑執行が恒例となりつつあるからだ。昨年は仕事納めの前日、福岡一家4人殺害事件(2003年)の中国人死刑囚の刑を執行した。

 なぜこの時期なのか。中国人死刑囚の刑死を発表する森雅子法相の記者会見に出席したが、回答はにべもなかった。「個々の事項については答えを差し控える。慎重な検討を経て執行命令を発した」

 そもそも国は死刑制度自体の情報開示に消極的だ。「死刑囚の心情の安定」が理由とされる。10年に東京拘置所の刑場を報道機関に公開したものの、執行する死刑囚の選び方や処遇の実態はベールに包まれたままである。

 一端を知りたいと数年前、免田栄さん=5日死去、享年95=を福岡県大牟田市の自宅に訪ねた。獄中で34年を過ごし、死刑囚として戦後初めて「死刑再審」で無罪を勝ち取って30年が経過していた。

 当時87歳、かつては険しかったであろう眼光が柔和になる一方、拘置所での記憶は鮮明だった。執行は朝、突然告知されるのが通例。だから朝は「針一本落としても聞こえるくらい静か。今日も誰かが召されると思うと体がぎゅーっと緊張した」と目をつむった。

 「刑務官も人間。死刑囚を連れて行くときの表情は真っ青で、ろう人形みたいやった」。前日までに執行を告知していた時代があり、1975年に隣の舎房にいた死刑囚が執行前日に自殺したことで当日朝の告知に変更された、とも。「生き証人」の体験から、ともすれば無機質に遂行されているようにも感じられる執行の現実を垣間見た。

 現在、執行は法定の「6カ月以内」をはるかに超えることが常態化。人選は官僚の起案とされるが、特定の人物について検討するよう指示したと証言する法相経験者もいた。

 改めて言うが、国がどんな基準でその順番を決めているのか、さっぱり分からない。冤罪(えんざい)の可能性を慎重に判断しているつもりかもしれないが、人選が正しいかは検証不可能である。

 社会に戻り37年、免田さんは裁判には誤判がつきまとうことを講演会や著書で訴えた。その間、幾度も司法制度は改革され、裁判員として市民が死刑判断に加わる時代になった。死刑に対する立場は種々あるにしても、市民間で議論するには情報があまりに乏しい。「人権だ、民主主義だと言いながら、取り残された最大の問題が死刑制度ではないか」。遺(のこ)した言葉は、変わらぬ国の「秘密主義」を問い続ける。 (社会部)

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