地震で変わったアチェ、なぜ変わらないのか日本 野田雅也監督は問う

西日本新聞 吉田 昭一郎

記録映画監督、野田雅也さんインタビュー(下)

 福島第1原発事故後、福島県飯舘村の酪農家らを追ったドキュメンタリー映画「遺言 原発さえなければ」(2014年)、「サマショール ~遺言 第六章」(20年)。共同監督の一人、野田雅也さん(45)=福岡県久留米市出身=へのインタビュー・後編は、インドネシアのアチェ取材の話から始まる。 (聞き手、構成・吉田昭一郎)

 アチェには、2004年12月に起きたスマトラ沖地震の3週間後、被災地取材で入った。津波が押し寄せた沿岸部には遺体が数多く埋まり、街は破壊され尽くされていた。内戦が続いたアチェは外国人は入れない地域だったが、津波の被災地に国際NGO(非政府組織)を受け入れた関係から、そこに紛れ込んだ。

 そんな中でも、インドネシア国軍が独立闘争ゲリラがこもるアチェの山地などを空爆し、掃討作戦をやっている。「これは何だ、あまりにひどくないか」と、ゲリラ側の取材を始めた。

 アチェは元々、王国だったが、オランダ植民地をへて太平洋戦争で日本軍が占領する。戦後は、インドネシアがアチェの人々の意思確認をせずに併合したという。アチェの人たちはなぜ独立を求めるのか、彼らが求める自由とは何か、知りたかった。

価値観を大転換したスマトラ・タイガー

 独立派ゲリラは「フリーダム・ファイター」「スマトラ・タイガー」と呼ばれていた。出会ったゲリラ部隊の司令官は当時の僕と同じ20代だった。父親が独立闘争に関わったとして、インドネシア国軍が家を襲撃し、目の前で母親が妊娠中のおなかを切られて死んだという。成人するとゲリラに入った。彼は「家族や子孫を守るために戦い続ける」と言った。傷だらけで、鉄砲の弾が体に埋まっていた。

 感動したのは、スマトラ沖地震の1年後、EUやASEANなど国際社会の仲介から、アチェの独立運動ゲリラとインドネシア国軍との間で和平が成立し、アチェはインドネシア内の自治州になった。アチェの人々があれだけの憎悪を乗り越えて、協調して生きる未来を選んだのだ。

 武装解除の現場はすごかった。忘れられない。ゲリラの人々は、ランチャーやライフルを車に満載して山から下りてきた。EUやASEANで構成するアチェ監視団(AMM)が一つ一つ処分していく。津波被害であらためて命の尊さに向きあい、価値観や生き方を大転換させたんだと感じた。

置き去りにされている「人の復興」

 そんな経験があったから、東日本大震災と福島第1原発事故が起きた時、僕はこれはもう日本も変わるはずだと思った。脱原発をはじめ、経済優先から、人を優先する社会に向かうはずだ、と信じた。一時は多くの人たちが声を上げて変化の気配があったが、間もなく揺り戻しが来て、今に至った。経済を優先する旧来の政治・経済勢力に丸め込まれて、なあなあのままに原発事故を忘れ去り、自分の生活に戻っていった。

 福島の復興にしてもハード事業に偏って、表向きの体裁を整えることに終始してしまっていないか。被災者の立ち直りに必要なものは何か、十分に考慮されず、「人の復興」が置き去りにされている。だから、避難指示が解除されても多くの人たちは戻らない。この10年の「復興」とは何だったのか、見つめ直すときを迎えている。

 国のコロナ対策でも経済優先に傾きすぎだと感じている。問題は、今の日本ではすべての人が「自由で尊厳がある暮らし」を送ることができているか、ということに尽きる。今後も、福島の復興を追いかけながら、日本社会がどこに向かっているのか、しっかりと見ていきたい。 (談)

 のだ・まさや 1974年、福岡県久留米市生まれ。福岡大商学部卒業。フォトジャーナリスト・映画監督。アジアの紛争地や災害現場など40カ国以上で取材、撮影。東日本大震災の直後から被災地に入り、取材を重ねる。共著写真集に「3・11 メルトダウン」(凱風社)。日本写真家協会、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会の各会員。

 ◆「サマショール ~遺言 第六章~」は、2021年2月から順次、福島、東京、関西、名古屋で劇場公開予定。

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