被災地の「今」訪ねて縦断 三陸海岸(青森、岩手、宮城県)

西日本新聞 夕刊 中原 岳

 青森、岩手、宮城の3県にまたがる三陸海岸。2011年3月の東日本大震災で、激しい揺れと津波に襲われた。線路が流されて途切れた鉄道は、少しずつ復旧。一部はバス高速輸送システム(BRT)に変わったが、昨年3月には北から南まで被災前と同じように移動できるようになった。震災から間もなく10年。被災地の「今」を見つめようと、三陸海岸を北から南へ縦断した。

 旅の出発点は青森県八戸市。JR八戸線久慈行きの始発列車に乗った。太平洋の車窓は霧で真っ白。北東から吹く冷たく湿った風「やませ」が原因らしい。東北地方に冷害をもたらし、農家を悩ませてきた。岩手県出身の詩人宮沢賢治の「雨ニモマケズ」にある「サムサノナツハオロオロアルキ(寒さの夏はおろおろ歩き)」は、やませによる冷夏を表したものとされる。

 2時間近く乗って、岩手県久慈市の久慈駅に到着。通学生と一緒に列車を降りた。ここで三陸鉄道に乗り換えた。列車は午前8時5分に久慈駅を発車。入り組んだ地形を進むため、トンネルが多い。谷を渡る時は眼下に太平洋が見える。運転士が橋の上で列車を止め、観光客向けに撮影タイムを用意してくれた。霧が少しずつ晴れてきた。この先は車窓に期待できそうだ。

 同県宮古市に入った。田老駅付近では、車窓に建設中の防潮堤が見えた。高さは14・7メートル。真っ白な壁のようにも見えた。この先の沿線でも、各所で新しい防潮堤が造られていた。

 宮古駅では16分停車。応援の気持ちを込め、売店で三陸鉄道のグッズや特産品を購入。店内には7月の豪雨で被災したくま川鉄道と肥薩おれんじ鉄道の関連グッズを売るコーナーもあった。遠く離れた九州の鉄道にエールを送る三陸鉄道の思いに胸を打たれた。

 宮古-釜石間では線路やホームが造り直された場所が多くあり、新規路線を走っているかのようだった。

 製鉄の街、釜石を出て30分余り。恋し浜駅で3分止まった。恋愛のパワースポットとして知られ、ホームには「幸せの鐘」があった。観光客は車外に出てホームを歩いたり、記念写真に収まったり。私も駅の写真を撮るのに一生懸命になり、気付けば発車時刻だった。30歳独身。鐘を鳴らせなかったのが心残りだった。

 久慈駅から4時間23分、終点の盛駅(岩手県大船渡市)に着いた。震災前はJR大船渡線の線路が続いていたが、BRTで復旧。線路の一部は、BRT専用道になった。車両は一般の路線バスと変わらない。列車より大きく揺れ、座席は小さくて硬い。長時間乗るにはつらい乗り物だった。

 50分ほどで奇跡の一本松駅(同県陸前高田市)に到着。駅名は津波に耐えた有名な松にちなむ。一帯は高田松原津波復興祈念公園として整備され、松のそばまで近づける。松は後に枯れ、保存処理が施された。植物としての生は終えたが、青空へ伸びる姿は生命の力強さを感じさせた。

 公園の敷地内には、昨年9月開館の東日本大震災津波伝承館があった。館内では、津波のメカニズムや被災して大きく変形した消防車などが紹介されていた。

 再びBRTに乗り、宮城県気仙沼市の気仙沼駅で別のBRTに乗り換えた。同県南三陸町の志津川駅で途中下車。徒歩5分ほどの場所に、赤い鉄骨がむき出しになった建物が無残な姿をさらしていた。震災当日、防災無線で避難を呼びかけ続けた女性ら多くの町職員が亡くなった旧防災対策庁舎だ。

 庁舎は津波対策でかさ上げされた土地や堤防に囲まれ、穴の中に立っているかのようだったが、庁舎の基礎が本来の地面。かさ上げされた場所では店がいくつか営業していたが、空き地も目立った。

 列車とBRTを乗り継いだ三陸海岸の旅。鉄道ファンとしては旅情を感じられる鉄道で全て復旧してほしかったが、復興に向け、BRT導入で途切れた線を一本に結んだ人々に敬意を抱く。地域の足が復活したことを喜びたい。 (中原岳)

PR

くらし アクセスランキング

PR

注目のテーマ