『鉄道員(ぽっぽや)』高倉健と志村けん、「仕事一筋」の終幕と悲哀

西日本新聞 吉田 昭一郎

フクオカ☆シネマペディア(17)

 仕事一筋の人生を愚直に生ききるのは、いつ頃まで男の勲章だとたたえられていただろうか。高倉健が北海道の鉄道マンを演じる劇映画「鉄道員(ぽっぽや)」(1999年、降旗康男監督)。描き出すのは、何よりも鉄道の定時・安全運行を優先して生きた男のまっすぐな人生の完結と、悲哀の物語である。

 演じるのは北海道にあるローカル線の終着駅の駅長、佐藤乙松。炭鉱最盛期にはにぎわった駅だが、今は乗降客は数えるほどだ。単独勤務で駅を守り、列車を迎え入れ、送り出す日々を過ごしてきた。

 やっと授かった娘が病で亡くなる。歳月がたち、今度は愛妻(大竹しのぶ)も送り出した病院で亡くなる。そんな日にも1人で駅頭に立った。周囲には、家族に対しあまりに冷たい振る舞いだとなじる声が上がるほど、筋金入りの鉄道員なのだ。

 定年退職を控え、かつて、ともに蒸気機関車を走らせた同僚、杉浦仙次(小林稔侍)が、身の振り方の決まらない乙松を心配し、再就職するリゾートホテルで働くよう誘うが、乙松は断る。「鉄道の仕事以外はできない」と言う。

 健さんの役柄はぶれることがない。誠実で武骨、不器用でぶっきらぼうでもあるが根っこに優しさを秘める。本人が生前「漫然と生きる男ではなく、一生懸命な男を演じたい」と語っていたという通り、乙松もその路線を行く。

 その鉄道員人生には何ら欠けるところはない。しかし、その人生の終着点は決して幸せに満ちてはいない。ローカル線は廃線になるという。愛児も愛妻もいない。雪が降り積もった駅頭で乙松の人生は終幕へ向かう。

 志村けんが、筑豊から北海道の炭鉱に流れてきた臨時の炭鉱マンを演じる。妻と離婚し幼い息子を抱える。駅前食堂で労組員の炭鉱マンたちともみ合いになる場面がある。反合理化闘争をめぐって「スト破り」をなじられるその男は、「最初に首切られるのはわしら臨時工やろ」と突っかかる。

 志村演じる臨時工は悪い人物ではなさそうだ。酒癖が悪いところはあっても、体を張って息子のために懸命に生きている。ついには炭鉱事故で亡くなるのだが…。もみ合いの場面。仙次と乙松から助けられ、飲み直しては泥酔する。2人に両肩を抱かれて千鳥足で歩み、ふいに転ぶ場面は、魂のずっこけに見えた。

 今年、コロナ禍で急死した志村の真摯(しんし)な喜劇人生は忘れない。

 さて、地味で渋くて誇り高く、同時に悲しくて寂しい。禍福あざなうような乙松の人生は、娘の誕生が最上の喜びであり、娘の早世は最大の悲しみだったのだろう。娘への深い思いは、思いも寄らない「再会」ドラマを描き出す。

 原作は浅田次郎。仕事に生きた男たちの労をたたえて、ねぎらう心が作品を通底している。

 うそをつかない。欲張らない。自分の職務のためなら家族も脇に置いて、ひたすら忠実に働く。まじめ一方、かつ仕事一筋の生き方は今や時代遅れなのだろう。だが、それが半ば標準だったような時代は、社会がもっとしゃんとしていたようにも思える。 (吉田昭一郎)

※「フクオカ☆シネマペディア」は毎週月曜の正午に更新しています

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