一人忘年会で考えた「自助」

西日本新聞 オピニオン面 永田 健

 「5人以上の会食は控えて」というのがこの年末の原則だ。根が真面目な私は某日「一人忘年会」を実行した。「一人焼き肉」をやってみると、ばか話もできないので、つい自分の「これまでの人生」などについて考えてしまった。

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 「たたき上げ」を自任する菅義偉首相は、目指す社会像を「自助・共助・公助」の順で語る。最初に「自助=自分の努力」が来るのは当然で、首相から言われるまでもない。しかしそれをわざわざ言う意味は「公助(=福祉政策)はできるだけやりたくないので、まず自分で何とかしてください」というメッセージだと受け止められている。

 この順番付けに賛同する人も多い。「私の人生、誰の力も借りずにここまでやってきた」との自負心を支えに生きる人々に、私は率直に敬意を抱く。

 ただ、その誇りは時として「公助(生活保護などの福祉)に頼る人間は甘えている」という「他者への厳しさ」に転化しがちだ。

 私自身も「私の人生、自助だった」と考えているくちである。健康保険(厳密に言えばこれは共助)以外には、社会福祉分野での公的な扶助は受けた記憶がない。しかし、よくよく振り返ってみると、これまでの人生、私はさまざまな幸運に恵まれてきたのだ。

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 その幸運を数えてみる。

 (1)親がアルコール依存症でもギャンブル依存症でもなく、堅実な生活習慣を身に付けることができた(2)経済的な事情で進学できないようなことがなかった(3)卒業時に好景気で就職が容易だった(4)入った会社が現在までつぶれなかった(5)心を病むようなパワハラ上司に当たらなかった-たちまち指が足らなくなった。

 そもそも女性や障害者の社会進出を阻む壁の多い日本社会では、私が「男で障害がない」というだけで最初から有利である。スタートラインがかなり先に設定されていたようなものだ。

 自分の現在の生活が、実は偶然の幸運や特権の結果にすぎないと考えれば、不遇な環境にある人に「自己責任」などという言葉を投げつける気にはならない。

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 少々酔いが回ってきた。私が納得いかないのは、「たたき上げ」の菅首相だけならともかく、世襲議員がわんさかいる自民党が、この「まず自助」の考え方を党綱領に据えていることだ。

 人生の出発点から「親の七光」で優位に立ってきた人間が、他人に向かって「自助の精神が大事」などと言うことに、羞恥やためらいはないのだろうか。彼らの頭の中では「七光」も「自助」なのだろうか。

 フランスの経済学者トマス・ピケティの「21世紀の資本」の映画版では、こんな実験が紹介されていた。2人に対戦型の蓄財ゲームをさせる。1人は最初から資本があり、途中の蓄財も有利な設定。もう1人にはそんな特権はない。そのルールの差を知っているにもかかわらず、有利な方はゲームでの優位を自分の実力と思い、相手を見下す態度を取り始めるのだ。

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 クダを巻いても一人。

 さあ、次は「一人カラオケ」である。今の気分にふさわしいのは中島みゆきの「ファイト!」か「糸」か。一人だから遠慮は無用。両方歌うことにする。

 (特別論説委員・永田健)

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