103歳が奏でる「平和の調べ」 過酷な引き揚げ…「音楽に救われた」

 大分県国東市の海岸からほど近い高齢者施設に優しいバイオリンの音色が響く。藤岡ミネさん(103)は施設に入るまで約65年間、地域の子どもに音楽と平和の尊さを教えてきた。若い頃は満州(現中国東北部)で暮らし、終戦後は過酷な引き揚げを経験。現地の人との交流も、生き延びることができたのも「バイオリンのおかげ」と振り返る。

 藤岡さんの父親は新しいもの好きで、幼い頃から家庭にオルガンや蓄音機があった。ラジオから流れる音色に魅了され、当時は珍しかったバイオリンを15歳で始める。国東高等女学校や大分市の教室の先生に手ほどきを受け、腕を磨いた。

 転機が訪れたのは19歳の時だった。中国・大連に住む兄夫婦から出産後の手伝いを頼まれて渡航。一度帰国し、1943年春に26歳でバイオリンを手に再び中国へ。兄が勤める南満州鉄道の関連バス会社で事務員として働き、現地で日本人と結婚した。

 中国人や朝鮮人との生活にもなじみ、「いつまでも暮らしたい」と思っていた。そんな日常に戦争の影が忍び寄る。45年になると男性の多くが出征。終戦直前の8月13日、兄に召集令状が届く。翌14日には夫にも。夫は46年に帰還したが、兄はシベリアに抑留され帰ってくることはなかった。

 終戦後は日本人が集まる地区で、義姉や子どもと帰国の機会を待った。その頃、地区で活動する楽団に入り、馬車で悪路を揺られながら各地を回った。演奏のお礼に現地の人から芋や果物をもらうこともあった。

 ある日、バイオリンを目にした中国人の少年兵から「何か聴かせて」と頼まれる。思いつくまま「荒城の月」を演奏し、手書きの楽譜をプレゼントした。少年は2日後、胡弓(こきゅう)を手に現れ、2人で荒城の月を奏でた。藤岡さんが中国の曲を習うなどしばらく交流が続き、少年は人さし指を口に当て「戦争は嫌ですね」とつぶやいた。「戦争が嫌でないはずがない。それを他人にしゃべることができない時代だったんです」

 音楽には命も救われる。ソ連兵が家に押し入り拳銃を突き付けられた際、当時所属した八路軍(中国共産党軍)の軍楽隊の証明書を見せると、銃を収め、時計と万年筆を奪い去って行った。ただ、そのバイオリンも八路軍に没収されたという。

 47年秋、引き揚げ船に乗れることになる。日本人300人を乗せた汽車は満州を出発したが、途中で止まってしまう。悪路を何週間も歩いて港にたどり着き、ようやく帰国がかなった。

 「私には、これしかできないから」と、借金をして再びバイオリンを購入。国東市内でバイオリンとピアノの教室を開き、計1500人以上を指導した。

 「言葉は通じなくても、音楽は誰もが楽しめ、理解し合える。音楽を愛する子どもばかりなら、戦争をする世の中にはならないはず」。平和への思いを込め、今もバイオリンを奏でる。

(萱島佐和子)

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