ジャズ編<493>はてしない物語

西日本新聞 夕刊 田代 俊一郎

 熊本県の会社員、土田弘志(53)はこの7年間に九州の道を愛車で9万キロ近く走破した。週末を利用した聖地巡礼だ。土田の聖地はジャズ喫茶、ジャズバーなどいわゆるジャズスポットである。トップギアでの加速へ駆り立てた一つは「いつまでもあると思うな、ジャズ喫茶」だ。 

 土田は元々、クラシック派だった。京都での学生時代、クラシック喫茶には通っていたが、ジャズ喫茶とは縁がなかった。卒業後、愛知県勤務になり、名古屋市内のジャズバー「マイルス」をのぞいた。ピアノとボーカル。両者が即興を入れながら対話していた。土田は「クラシックにない自由を感じた」と振り返った。 この店に通い始めた。まもなくメキシコなどの海外勤務になり、ジャズとは遠ざかった。2013年に福岡市勤務へ。単身赴任。通勤途中にあるジャズ喫茶「ジャブ」の扉を開け、ジャズスポットと再会した。これが地縁のなかった九州でのジャズへの旅のスタートだった。それからの足跡はホームページ上にアップしている。タイトルは「汝が欲するがままをなせ」。ドイツの作家、ミヒャエル・エンデの名作小説「はてしない物語」からの引用だ。真にやりたいこと。土田はその手掛かりを得た。 

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 土田は九州の地でジャズ版「はてしない物語」を描こうとしているのかもしれない。物語の主人公は土田が「マスターのジャズが好き」と語るようにジャズスポットのマスターたちだ。オーディオ装置、レコード、CD、壁のポスター…。その空間はそれぞれのマスターが構築した人間味のある個性的な世界だ。 

 その空気に触れるために仕事の終わった金曜日の夜に出て、2泊3日の旅に出ることもしばしばだ。週末の旅人はマスターの話に耳を傾ける。土田は「おかげで裏名盤に詳しくなりました」とうれしそうに笑う。気難しそうなマスターもジャズ談議になれば止まらない。「チェット・ベイカーの本当の名盤はこれだよ」という風に。 

 昼間からジャズを聴ける伝統的なジャズ喫茶は「数少なくなっています」と話す。飲食が伴わなければなかなか店は立ち行かない。世代交代期でもある。ジャズの風景は大きく変わっている。土田は「『ジャズ喫茶』を知るには今からの5年間が大事だ。多くの方に回ってもらいたい」と言う。

 土田の巡ったジャズスポットは88店。これがほぼ現在の九州の店の数だ。ただ、同じ店に何度も通い、累計にすれば700回を超えている。コロナ禍も変数として加わり、ジャズスポットの明日は不透明だ。挫折と再起のはてしない物語を目撃するために、土田はアクセルを踏み続けている。 

 =敬称略

 (田代俊一郎)

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