ヤンニョムチキンはソウルじゃないフード?韓国現代史との意外な接点

 揚げた鶏肉に真っ赤な甘辛ソースを絡めた韓国名物のヤンニョムチキン。日本のスーパーでも買える人気料理だが、発祥の地は韓国南東部の大邱市だという。流行の発信地と言えばソウルが定番なのに、なぜ地方都市で生まれたのか。取材を進めると、韓国の国民食ともいわれるフライドチキンと現代史の意外なつながりが見えてきた。

 韓国のフライドチキン店は全国に約8万7千店あるとされ、その数はコンビニの倍以上に上る。メッチュ(ビール)と楽しむ「チメク(チキン+メッチュ)」も広く浸透している。

 釜山市の北西約90キロにある大邱市では2013年以降、毎年夏にグルメイベント「チメクフェスティバル」を開催。新型コロナウイルス禍の前までは毎回100万人超が訪れたという。「大邱を創業地とする全国チェーンのチキン店は10系列以上あるんですよ」とイベント事務局。ヤンニョムチキンは大邱のチキン店を全国区にした目玉商品だ。

 「鶏肉は冷めると特有の臭みが出る。その生臭さを消す韓国オリジナルのソースを作りたかったのさ」。ヤンニョムチキンの生みの親、尹鐘桂(ユンジョンゲ)さん(68)が発案した経緯を教えてくれた。きっかけは1970年代後半、鶏肉料理を残した客の「冷めたら臭う」という一言。独自のソース開発に腐心した。韓国メディアによるとソースは唐辛子やニンニク、ニンジンなどを入れ、甘みは水あめで出した。80年代に入ると後を引く甘辛ソースが評判を呼び、全国に普及した。

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 なぜ大邱でここまでチキン産業が発展したのだろうか。ヒントは韓国現代史にあった。

 「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長期の70年代、韓国政府は食肉を含む食料増産を強化。大邱市を中心とした地方に大型養鶏場が多数建設された。当時この地方に国内の施設の8割が集中した理由について、同市の郷土史家金正子(キムジョンジャ)さん(57)は「朝鮮戦争の戦災を免れ、経済力のある市民が多かったため」と分析する。

 北朝鮮軍は開戦約2カ月で韓国領の大半を掌握したが、対する国連軍は大邱手前で撃退。戦前から栄えた大邱の紡績業などの産業は被害を受けず、戦後も発達した。このため、他都市より豊かで当時安くはなかった鶏肉の消費地に適していたという。

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 人気なのはチキンだけではない。大邱市は韓国全土から観光客が訪れる「B級肉グルメ」の街としても知られる。

 市中心部近くには、甘辛たれなどで味付けした砂肝フライ専門店約25店が軒を連ねる「平和市場砂肝通り」がある。この地域はかつて朝鮮戦争の避難民が多く暮らし、市場周辺に日雇い労働者を募集する「寄せ場」があった。72年、近隣の店が砂肝フライを提供すると求職者に好評で、徐々に専門店が増えた結果、通りが形成されたという。

 練炭で焼き、みそ味のソースで食べる豚の小腸(コプチャン)や大腸(マクチャン)も「安くておいしい市民のソウルフード」(大邱市の男性会社員)。市中心部に近いアンジラン地区のコプチャン通りは専門店など約45店が並ぶ。70年代後半に若者向けに出されたのが始まりとされるが、経済発展に伴う食肉需要増加が関係しているようだ。

 大韓民国豚産業史などによると、財閥のサムスングループが政府方針に基づいて70年代に大規模養豚場を建設したこともあり、80年までの10年間で豚肉の消費量が2・5倍に増加。大邱市の観光関係者は「豚肉の増産で増えたホルモンを活用し、生まれた名物料理と言える」と話す。

 歴史に思いをはせながら料理を口に運ぶと、味に深みが増した気がした。 (大邱で金田達依)

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