栄華の名残探して 門司港・清滝地区の路地裏を歩く

 国際航路の拠点としてかつて繁栄を極めた北九州市の門司港で、政財界人や文化人の社交場としてにぎわったのが、清滝地区だ。JR門司港駅(同市門司区)から山手に歩いて10分ほどの斜面地にあり、「奥座敷」とも呼ばれた同地区は高級料亭が立ち並び、芸者や人力車が行き交っていたという。ガイド歴25年で「門司の生き字引」として知られる内山昌子さん(80)と路地裏を巡った。

 12月下旬の朝、門司港駅で内山さんと合流し、まずは国道3号を渡ってすぐの「錦町公民館」に向かった。

 「(日本舞踊の)花柳流の家元が来て芸者さんに指導してたんですよ」

 公民館は、かつては芸者を取り次ぐ「券番」だった。2階建ての建物の一部は当時のままだという。

 芸者が修行していた大広間に入ると、角材が碁盤の目のように組まれた豪勢な天井が目に入った。格式が高い建物に使われる「折上格(おりあげごう)天井」と呼ばれ、清滝を代表する高級料亭だった「三宜楼(さんきろう)」や門司港駅の貴賓室にも用いられているという。

 各地に芸者はいたが、券番の建物の立派さから、門司の芸者の「格調の高さ」がうかがえるという。

 公民館を出ると、道向かいは細い路地。芸者が生活していた置き屋や企業の社宅などが並んでいた地区だ。「芸者さんがいた頃は、どこからともなく三味の音が聞こえてきた」。門司港で生まれ育った内山さんは懐かしそうに話す。れんが塀の長屋は、いまは行列ができるカフェになっている。

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 清滝地区の海側の石垣にそびえ立つ三宜楼の現在の建物は1931年に建築された。木造3階建てで、現存する料亭の建物では九州最大級だ。

 入り口の扉を開けると、2階の大広間につながる広い階段がある。両脇には下から順に、松、雲、山、月をかたどった「下地窓」が並ぶ。内山さんは「天上にいざなわれるようでしょ。当時の意匠には驚きます」。全く同感だ。

 大広間には舞台があり、能や踊り、長唄が披露され、夜な夜な宴会が繰り広げられたという。「三宜楼の窓には、いつも明かりがともっていて、にぎやかしかった。今となっては夢のあとです」

 戦後、清滝地区からは料亭や置き屋、社宅が次々と姿を消し、住宅や駐車場になった。地元にあった百貨店勤務などを経てガイドになった内山さん。「消えつつある街並みを伝えたい」と、当時を知る人たちに取材を重ね、街の姿をスケッチや写真で残してきた。

 内山さんは「最後にもう一つだけ」と言って、清滝地区の東側にある錦町に連れて行ってくれた。

 真新しい住宅が並ぶ一角に、色あせたピンク色の建物が現れた。壁が、ひょうたんのような形にくりぬかれている。内山さんによると、売春が行われた「特殊飲食店」だった建物で、壁のデザインは女性の裸体を表現している。清滝地区とは違い、一帯は港湾労働者が出入りする庶民の街だったのだ。

 何げなく通り過ぎていた街並みに歴史の息づかいを感じた。「路地裏の魅力は、まだまだたくさんありますよ」と、内山さん。何度足を運んでも楽しめそうだ。

(白波宏野)

門司港】1889年、石炭などの「特別輸出港」に指定され、国主導で港湾の整備が進み、商社や銀行などの洋風建築が立ち並ぶビジネス街となった。清滝地区には最盛期に数十軒の料亭があり、200人以上の芸者がいたとされる。旧料亭「三宜楼」1階の展示室には料亭の歴史を伝える資料が並び、自由に見学できる。午前10時~午後5時。月曜休館。三宜楼=093(321)2653。

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