「ずっと行きたかった」人気アナの発言で注目…しょうゆ造りの町

西日本新聞 本田 彩子

 「ずっと行きたかった場所へ行ってきました」。10年前、しょうゆ愛好家だという東京の人気アナウンサーが、ラジオでその魅力を興奮気味に語ったことで注目を集めた場所がある。宮崎県日南市大堂津(おおどうつ)。人口わずか1500人の港町に当時は四つ、今も三つのしょうゆ醸造所がある。南国のこの小さな町でなぜ醸造業が興り、脈々と続いているのか。蔵の人たちに会いに、大堂津の町を訪ねた。

 穏やかな波が打ち寄せる海沿いの道路を進むと、小さな駅舎が見えてきた。JR大堂津駅。無人駅だ。

 宮崎空港から車で南に約1時間。潮風に吹かれながら町を歩く。細い路地が入り組んだ住宅地に入ると、かつての目抜き通りがあり、やがて古い石蔵が現れた。

 「どうぞどうぞ」。向かいの作業所から、頭に赤いバンダナを巻いた宮田本店の代表、宮田千賀子さん(61)が声を掛けてくれた。

 1804(文化元)年創業の同社は、千賀子さんと息子の健矢さん(27)を中心に従業員6人で、春にしょうゆ、秋に焼酎、冬にはみりんを仕込む小さな醸造所だ。

 8代目の健矢さんが、築90年余という石蔵を案内してくれた。蔵の中はひんやり冷たい。タンクをのぞくと、しょうゆになる前の「もろみ」がプチプチと気泡を立てながら、発酵、熟成していた。このもろみを小まめにかき混ぜ、1年ほど様子を見るという。

 宮田本店のしょうゆは原料の大豆を蒸し、小麦をいるところから自社で手掛ける。ほぼ手作業。仕込みから完成まで1年以上かける。

 「効率悪いですよね。もっと楽をしたいって思います」。健矢さんは冗談っぽく笑い、こう言った。「でも、この造り方を続けてこそ、お客さんに『おいしい』って言ってもらえるのかなあって思う。達成感はあります」

     *    *

 健矢さんの話を聞きながらふと指で石の壁に触れると、ポロポロと粉のようなものが落ちた。天井を見上げると、太い木の梁(はり)にも何か付着している。「蔵にすみ着いた酵母です」。発酵、熟成で重要な役割を果たす酵母が自然と蔵にすみ着き、その蔵独自の味を生み出すという。これだけの酵母がすみ着くまでに、どれだけ長い時間を重ねてきたのだろう。

 健矢さんは大学で醸造学を学び、2年間の修業を経て、4年前に古里に戻った。その間、蔵を守ったのは千賀子さん。「私は7・5代目なんです」と笑う。

 7代目は夫の育紀さん。2011年1月、東京の大学に進学を決めた健矢さんと家探しのため上京中、突然体調を崩し倒れた。わずか2カ月後、52歳で亡くなった。がんだった。

 「あそこはもう続かんだろう」。そんなうわさも立つ中、千賀子さんは自ら「7・5代目」を名乗る。当時、しょうゆ造りの知識はほぼゼロだった。「麦をいる作業が特に大変。焦がしすぎちゃいけないし、生でも駄目。目で見て判断するのが難しくて」。従業員や義母の禮子さん(86)に教えを請いながら、しょうゆを造ったという。

 家業を絶やさない。その重圧はどれほどだっただろう。千賀子さんはこう言った。「とにかく『次に渡さないといけない』という思いだけ。それ以外は何も考えていなかったです」

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