「真夏に一日中、火の横」半世紀前に復活…山里で続くしょうゆ醸造
「九州しょうゆ王国」延長戦
「九州しょうゆ王国」では、九州各地の醸造所が造る多彩なしょうゆの魅力を紹介した。だが取材班のメモには、書き切れなかった“素材”が満載。そこで年初めのくらし面は、特集の「延長戦」として熊本県あさぎり町と東京で聞いたとっておきの「しょうゆの物語」をお届けします。
早暁に宿を出た。晩秋のあさぎり町は町名の由来になった名物の深い霧に覆われ、視界がきかない。町中心部からゆるゆると車を進め、約20分で山あいの平山地区(旧須恵村)に到着。元は納屋だった作業場を訪ねると、平山みち子さん(70)と平田春代さん(71)、平野トシ子さん(70)の3人がしょうゆを搾る作業の準備をしていた。
十数世帯が暮らす平山地区では戦後間もない頃まで家々でしょうゆを造っていたという。当時はしょうゆのほか、搾ったしょうゆ粕(かす)にユズの皮やショウガ、トウガラシなどを練り込み、天日で「干しみそ」をつくった。この保存食を特産品にしようと地域の女性たちがしょうゆ造りを復活させた。半世紀前のことだ。

作業は夏に始まる。8月、3人は自宅の大釜で小麦と大豆をそれぞれいり、業者に依頼して砕く。大豆はさらに炊き、小麦と混ぜ、こうじ菌を入れて1週間ほど寝かせ、塩水と一緒におけに入れる。これがもろみだ。もろみは約3カ月間、かい棒で毎日かき混ぜて発酵、熟成させた後、搾る。
その搾り方が面白い。おけに入ったもろみの中央に高さ約1メートル、直径約30センチの竹編みの筒を縦に押し入れ、内側のもろみをかき出して空洞にする。するともろみからしょうゆが内側ににじみ出る。しょうゆは毎日くみ出し、それを2週間、繰り返す。残ったのが粕となる。
一番大変なのは「釜いり」。1人小麦90キロと大豆20キロをいる。「真夏に一日中、火の横におらんばんけんですね」。3人は笑って話すが、相当きつそうだ。

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干しみそ造り復活を提唱したのは当時の村長という。その頃、集落ではコメの転作作物としてショウガ栽培を始めていた。ショウガはみその原材料の一つ。少しでも現金収入を増やしたい。そんな思いがしのばれる。
女性たちは家に残っていた古い道具を竹細工職人に見せて新たに制作を依頼。集落に嫁いで間もない平山さんは「昔はこぎゃんしよいやった」と記憶をたどる婦人会の先輩たちに教わりながら作業に精を出した。
集落にはユズの木も一家に1本は植えられている。干しみそ造りはユズの実に霜が2、3回降りて苦味が取れた後。出荷は12月だ。
半世紀前には「一日中(店を)巡ってさいたでっちゃあ、数えるほどしか売れんかった」。今は固定客も増え、冬になると「まだですか?」と声が掛かる。
しょうゆは自家用のほか、集落の人たちと分ける。「香りがよく、煮物にもいい」。催しなどでも販売し、町外からも買いに来る。
半世紀前、15人いた仲間は3人になった。今も田畑で毎日働き、休みは雨の日だけ。「みんなが楽しみに待っていてくださるし、おいしいよと言われたら、せんといかんかなあと思う。できる限り続けます」 (田中良治)
