五輪、進むか引き返すか

西日本新聞 オピニオン面 永田 健

 昨年から今年に持ち越された最大の政治課題の一つが「東京五輪、パラリンピックを予定通り2021年夏に開催するか」である。

 新型コロナウイルス感染の第3波は拡大の一途だ。医療崩壊の危機さえ迫る今、医療体制にさらなる負荷をかける五輪の「開催」と言われても、現実味を感じられないのが現状だ。

 各種の世論調査を見ても、五輪の「中止」や「再延期」を求める声が強まっており、「予定通り開催」は少数派となっている。

 菅義偉政権は今夏開催の構えを崩していないが、もし本当に開くのなら、現在の第3波を抑え込んだ上で、開催時までに有効で重大な副作用のないワクチンを国民の相当数が接種する体制ができ、なおかつ強力な変異ウイルスが世界的に広まっていないという「最良のシナリオ」の実現が条件となるのではないか。

 ただ、準備期間を考慮すれば、その条件が整うか明確になる前に判断のタイムリミットが訪れる可能性が高い。開くのか開かないのか、観客はどうするのか。菅政権にとって、相当に難しい決断となりそうだ。

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 決断の性質や局面という点で考えると、これに似ているのがヒマラヤなどの高峰を目指す登山隊の最終決断ではないだろうか。

 ファイナルキャンプから頂上にアタックするかどうか。頂上はすぐそばにある。だが天候は不穏だ。7千~8千メートル級の高山では、判断ミスが死に直結する。隊長は「アタック」か「断念」かの決断を迫られる。

 後輩に登山家がいる。エベレスト登頂成功をはじめ、ヒマラヤ遠征は4回。一度は遭難寸前となり、凍傷で手の指3本を失うという経験もしている。彼に決断のメカニズムを聞いた。

 「経験豊富な隊長が、天候の変化、隊員の体調や心理など総合的に判断して決める。隊長と隊員との『信頼と納得』が大前提なのは言うまでもありません」

 「もちろん隊員はみな(頂上に)行きたい。遠征計画が持ち上がってからここに来るまでどれだけのエネルギーを使ったか。断念した場合、また同じ事ができるのか。応援してくれている人たちの顔も浮かぶ。しかし隊長の最終的な判断基準は『隊員を一人も殺さずに(死なせずに)帰ってこれるかどうか』です」

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 かけた労力や目標への情熱が大きければ大きいほど引き返すのが難しい。五輪も同じだ。選手や関係者の心情は痛いほど分かる。

 ただ一つだけ大きく違う点がある。登山の場合、隊員はある程度の命の危険を意識してそこに来ている。しかし五輪は「国民の生命を危険にさらしてもやるべきだ」と考える人はまずいないということだ。

 五輪開催の判断の最終期限は4月ごろとみられる。菅政権には国民の生命の安全を第一に置き、科学的な知見を基に判断するよう求めたい。国内の医療体制に五輪に対応する余力があるか、見極めが重要だ。

 楽観的な予測をつまみ食いして「開催可能」の結論に誘導するようなことでは困る。ましてや「政権浮揚」だの「国威発揚」だの「メンツ」だの、余計な動機を判断に入り込ませるのは願い下げである。そんな動機で危険な場所に連れて行かれたのでは、国民もたまったものではない。

 (特別論説委員・永田健)

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