「牛神」受け継ぐ親子3代 地域の願いを次代に

西日本新聞 長崎・佐世保版 田中 辰也

 壱岐には古くから牛の守り神がいる。長崎県壱岐市郷ノ浦町、津の上山(標高133・4メートル)山頂の津神社にまつられている「牛神」だ。

 江戸時代初めの1672(寛文12)年、壱岐島で農耕に使われていた牛に病気が流行した。疫病退散の祈願が津の上山で行われ、津神社に牛神が合祀(ごうし)されたという。境内には明治、平成に畜産農家が奉納した2体の牛の像もある。

 桜が満開になる4月中旬、神社で開かれるのが「壱岐国牛まつり」だ。麓から子どもみこしや七福神を従えて山頂の神社まで登ってくるのは2頭の黒毛和牛-と言っても、本物ではない。

 竹や鋼材を使って骨組みし、その上に新聞紙を張って黒色を付けた張りぼてだ。牛の首は可動式。重さは20~30キロにもなるという。

 中には大人2人が入る。郷ノ浦町牛方触(うしかたふれ)の会社員、深見哲さん(36)は2015年から3年間、この役を務めてきた。「神社まではほとんどが上り坂。重くてきついんですよ」

 大学進学で一度島を出て24歳の時にUターン。まつりの保存会には30歳で入会した。保存会には深見さんが幼い頃に病気で亡くなった、父茂嗣さんとの絆がある。

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 牛まつりは津神社の例祭に合わせて戦前から行われるようになったとされる。一時途絶えたが、昭和60年代に地域活性化の目的で復活。茂嗣さんは保存会の発起人だった。

 現会長の梅野盛次さん(50)によると、保存会は津神社の麓の集落、牛方触と大浦触の住民で構成。牛の張りぼては保存会発足時、それぞれの集落が作り、今も修復しながら使い続けているという。

 ブランド和牛「壱岐牛」の繁殖が盛んな島で、まつりは牛の息災や畜産振興を祈願する行事として定着したが、昨年は新型コロナウイルスの影響で中止になった。

 張りぼては今、倉庫に保管されたままで、うっすらとほこりをかぶっている。「まつりは地域の交流を深める機会。2年続けて中止にしたくないんだが、コロナがどうなるか…」と梅野さん。

 深見さんも小学生の頃、まつりを楽しんだ思い出がある。ただ、保存会発足から数年後に亡くなった父のことはあまり覚えていない。

 「まつりのことを父から聞けず、保存会の先輩たちから教えてもらった。父も牛の張りぼてに入って神社を目指したのかなあ」

 2年前から長男の哲心さん(11)も参加するようになった。太鼓をたたいて仮装行列を先導する役だ。

 牛神の麓で親子3代が紡ぐ牛まつり。深見さんは「息子には自分から伝えていきたいし、もっと多くの人が集まるまつりにしたい」と話す。

(田中辰也)

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