独特の雰囲気と年季…佐賀・中央マーケットにたたずむ青果店の店主

西日本新聞 佐賀版 米村 勇飛

 初見の人には少し怪しげな雰囲気と年季を感じさせる中央マーケット(佐賀市呉服元町)も、自身にとっては“空気”のような存在だ。「当たり前の存在だから、あまり意識はしていなかった」。マーケット内に青果店「下村商店」を構える2代目店主の下村豊さん(72)は、なじみの飲食店に卸すタマネギの皮をむきながら、淡々と話す。

 下村さんによると、下村商店が産声を上げたのは1940年代末。中央マーケットの形成時期とほぼ一致する。太平洋戦争後、外地からの引き揚げ者が商売を始めたのが原点だという。佐賀出身の両親も朝鮮半島から戻り、青果店を開いた。

 下村さんの原風景は、幼い頃に見た活気ある中央マーケットの光景だ。物心がついた頃は、決して大きくはない市場に店がひしめき合っていた。青果店や精肉店、鮮魚店はもちろん、総菜店なども複数が軒を連ね売り上げを競った。

 お得意様は地元住民や近隣の白山地区のスナックなどで働く女性たち。中央マーケットの隣接地には65年まで移転前の百貨店「佐賀玉屋」があり、この一帯は当時、名実ともに佐賀の中心地だった。「店先に並べておくだけで物が売れた。そういう時代」と笑って振り返る。自身も高校卒業後は、跡取りとして店で慌ただしい日々を送った。

 風向きが変わったのは、昭和が終わりに差し掛かった頃。大規模小売店などの進出で、店頭を行き交う客足は少しずつ遠のいた。しばらくは耐えた店たちも、常連客と店主の高齢化が相まって、徐々に姿を消した。

 下村商店も店頭販売から飲食店への卸売りへシフト。現在は近隣の5店舗に青果を配達している。「必要とされて、自分の体が動く間は続けますよ」というが経営は厳しい。自分の代で店じまいする予定だ。

 最近は中央マーケットの独特の雰囲気に魅せられた若者を店先で時折見掛ける。「市場を残したい」という声も聞くが、自身はあえて残そうとは思わない。「(廃れていくのも)時代の流れ。逆ろうてでんやろうとしてもですね」とこともなげに話す。

 身近すぎる商店街への思いは簡単な言葉では言い表せない。「マーケットへの思い…。うーん、『慣れ』ですね。気付いたらあるというか。好きとか嫌いとか、そんなんじゃなかです」。とつとつと紡ぐ言葉には、中央マーケットへの愛情がにじんでいた。

 (米村勇飛)

【佐賀市呉服元町】江戸時代、長崎街道を中心に栄えた城下町。昭和期はアーケード街の「呉服町名店街」や「中央マーケット」などが集まる繁華街としてにぎわった。名店街エリアの南北約170メートルは現在、歩行者天国。市の都市再生計画で商業テナントが入る「わいわいコンテナ」整備も進む。

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