雲仙・普賢岳の「6・3大火砕流」乗り越え日本一に

西日本新聞 長崎・佐世保版 真弓 一夫

 牛の世話をする畜産業者に正月も盆もない。長崎県島原市仁田町の古川繁信さん(70)は、元旦もいつも通り午前7時前から自宅そばの牛舎2棟で餌やりや清掃に励み、約150頭の牛の食欲をみた。「みんな、体調は大丈夫」。一息つき、順風満帆な暮らしが覆された30年前を思い起こした。

 「この牛舎も葉タバコ畑だったなあ」

 1991年6月3日。地元消防団員や住民ら43人が亡くなった雲仙・普賢岳の「6・3大火砕流」が起きた。古川さんは同年3月まで消防団員だった。犠牲者には一緒に活動した仲間もいた。空を覆う火山灰が一帯に降り積もり、畑も自宅も立ち入りが禁止された警戒区域になった。「もう畑はダメだ」。避難所に厚く積もった灰を見て悟った。

 古川さんは葉タバコ農家の3代目。妻の明美さん(69)とコツコツと作付面積を増やし2倍の約1・6ヘクタールに広げた。買い上げ制度もあり、収入は安定していた。この年、葉タバコは「最高の出来で、家の建て替えも考えていた」。が、収穫の前日に古里を襲った大火砕流は全てを奪った。

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 警戒区域の指定は1年2カ月に及んだ。

 被災後、諫早市の工場で雑務をこなし再起の道を模索。「灰に強い農業」として畜産業を選んだ。だが肉牛を育てた経験はない。勉強や準備を重ね、警戒区域が解除された畑に切り出した竹で牛舎を作った。

 92年9月に7頭の子牛を飼い始めた。コスト削減も兼ね、トウモロコシや麦など餌の配合を変えながらの試行錯誤の日々。肉牛は出荷まで最低20カ月。一定の成果や収入を得るまで時間がかかる。7人家族の当面の生活や子どもの進学を貯蓄の取り崩しや明美さんのパート勤めでしのいだ。

 県内外の畜産農家に教えを請い、粘り強く肉質の向上に取り組んだ。それでも「なかなか思うような牛には仕上がらない」。市場の厳しい評価も続く。霜降り肉に育てる鍵はビタミンの与え方だった。「これは今までの肉とは違いますね」。10年がかりで市場の褒め言葉をもらった。

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 理想の肉質を目指し、優秀な血統の子牛の買い付けにもうけを投入。10年後の2012年に県内で開かれた第10回全国和牛能力共進会に県代表の一人として出場し、県産種牛「福姫晴」の子牛から育てた黒毛和牛が肉牛の部で最高賞の内閣総理大臣賞に輝いた。

 県代表で初の快挙に「やってきたことは間違いなかった」と自信を持った。この共進会は9部門全てで県代表が入賞し「長崎和牛」のブランド確立を推進。「お世話になった人たちに少しは恩返しできたかな」とも思う。

 噴火災害に直撃された暮らしの立て直しが「島原の復興」にもつながる。信念はあっても、先行きが見えず眠れない夜もあった。古川さんを支えたのは、ともに歩んだ牛たちだ。火砕流の発生から今年で30年。ゆっくりだが、着実に一歩ずつの歩みは今年も変わることはない。 (真弓一夫)

 =おわり

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