戦後76年悲しき日本色 吉田賢治

西日本新聞 オピニオン面 吉田 賢治

 沖縄戦の激戦地となった沖縄本島南部に残る避難壕(ごう)に、調査団と一緒に入ったことがある。懐中電灯だけが頼りの狭い空間で腰をかがめて土を掘ると、小指半分ほどの大きさの茶色い破片が出てきた。遺骨と教えられた。数十年もの間に変色していた。

 命令を受けて勇敢に戦った日本兵かもしれない。幼子を抱えて逃げ惑った住民かもしれない。「鬼畜」とたたき込まれた米兵が迫る中、十分な食べ物もなく恐怖に震えながら落とした命。そして漆黒の闇に埋もれたまま、数十年余もの間の放置。想像を巡らせ、心がかきむしられた。

 沖縄の西表島ではこんな話も聞いた。戦時中に米軍機がジャングルに墜落した。戦闘が終結すると、島に上陸した米兵が密林を分け入り、搭乗員の遺体を収集していった。当時は国力の差が歴然としてあっただろう。しかし70年余を経た今も、沖縄には2800柱以上の戦没者が眠っている(2019年3月現在)。

 その沖縄でまた一つ、信じられない計画が持ち上がっている。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設に伴う新基地建設工事を巡り、国が名護市辺野古沿岸部で埋め立てに使う土砂の採取場所候補として、本島南部も新たに加えたのだ。沖縄防衛局が昨年4月、県に提出した工事の設計変更申請に盛り込まれた。多量の砲弾が撃ち込まれる「鉄の暴風」が吹き荒れ、遺骨が埋まっている可能性が高い土地で削り取った土砂を、軍事基地建設の土台に使うという。

 沖縄防衛局は採取場所は未定としているが、ボランティアで遺骨収集を続ける具志堅隆松さんによると、本島南部の森では既に、採石場の新規開設が始まっており「辺野古の需要を見越しているのではないか」と指摘する。さらに防衛局は「採取する場合、業者が遺骨に十分配慮する」と説明するが、具志堅さんは「遺骨か石灰岩かは手に持った重さでようやく判別できる。重機を使う採石場で仕分けできるはずがない」と懸念する。

 遺骨の収集を「国の責務」とする戦没者遺骨収集推進法が16年に施行され、24年度までは集中実施期間としている。そうした中での本島南部での大量の土砂採取は、法の趣旨にも逸脱する。遺骨をわが手で抱こうと待ち続けている遺族に寄り添う心を失い、机上だけで考えた、あり得ない計画ではないか。

 沖縄のロックバンド、モンゴル800の曲に、こんな歌詞がある。

 「美しい空の青 海の青 この島すでに悲しき日本色」

 戦後76年目に入った沖縄の現状である。 (日田支局長)

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