軍神から戦争協力者へ

 1935年に鹿児島市で生まれた母には海軍将校だった叔父がいた。まだ幼かった母とはあまり話をすることはなかったが、穏やかな印象の人だったという。叔父は、真珠湾攻撃の時、特殊潜航艇で戦死した横山正治少佐(死後、2階級特進)だ。

 開戦の熱気に沸き、軍神に祭り上げられた叔父の生家には、時の東条英機首相も訪れた。生家の前を通る近所の人は「軍神の家に敬礼」と挙手の礼をし、幼い母に対しても「軍神の家の子」ともてはやしたという。

 終戦後、事情は一変する。「戦争協力者の家」と呼ばれ、家には投石などの嫌がらせが相次いだ。近所付き合いもなくなり、母たちは戦後しばらく、息を殺すように生活していたという。

 叔父は靖国神社(東京)に祭られているが、母は一度も訪れたことがない。親族も減って、命日の12月8日に続けられていた身内のみの法要も今はない。

 (床波昌雄)

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