「命愛しみて」亡くなる直前、短歌に託した願い 94歳被爆者

 <被爆せし 命愛(お)しみて 八十年(やそじ)経ぬ 核廃絶は 何時(いつの)日ならむ>

 長崎原爆の被爆者、川崎進さんは昨年4月に94歳で亡くなる直前に短歌を残した。22日の核兵器禁止条約発効は見届けることができなかったが、歌に「核なき世界」への願いを込めた。

 ボールペンではがきにつづった一首は、長崎原爆被災者協議会(被災協)が被爆75年に合わせ、会報に掲載するために募った作品のひとつだった。

 「頑固で口数が少ない普通の父。被爆者のイメージはあまりない」。関東に住む川崎さんの長女(63)は父親から被爆体験を聞いたことがなかった。元号の令和が「万葉集」にちなむことをうれしそうに話す姿は思い浮かぶものの「原爆のことを詠んだ短歌を残していたとは知らなかった」。

 短歌には、どんな思いが込められていたのか。長崎県大村市の川崎さん宅を訪ねるなど親交があった被災協大村支部世話人で被爆2世の大宮美喜男さん(52)が注目するのは「命愛しみて」の5文字だ。

 「被爆後に腹を切ろうとした、と聞いたことがある。死ねなかった負い目があったのでは…」

 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館(長崎市)が保管する被爆者の体験記に、川崎さんの手記も収められている。それによると、長崎大経済学部の前身「長崎高等商業学校」に在学中、爆心地から4キロの三菱長崎造船所で被爆した。

 救護所で全身にやけどを負った友人を見つけ、下宿に連れ帰った。「痛い、痛い」「水をくれ、体をさすってくれ」。友人は翌日に亡くなるまで悲痛な声でうめき続けた。

 数日後、米軍が長崎湾に上陸するといううわさを聞いた川崎さんは家族に宛てた遺書をしたため、日本刀を抜いた。切腹するつもりだったが、命を絶つことはできなかったという。

 「多くの人が原爆で亡くなったのに生き残った罪悪感から、核廃絶を願ったんだと思う」。大宮さんはそう考えている。

 「本来は『惜しみて』とするところに、わざと『愛』を使っているね」

 大村市で短歌教室を主宰する六田正英さん(88)は別の解釈をする。川崎さんとは被災協大村支部で顔を合わせる仲だった。

 「原爆がもたらした惨状を目にしたからこそ、全ての命がいとおしい。戦後は亡くなった人たちの分も、と生きてきた。川崎さんも同じだったのでは」。「愛」にはいとおしむ、との意味がある。命がいとおしいから、核廃絶を願ったのだろう、と思いを巡らす。

 六田さんはこうも話した。「被爆者はね、核兵器がなくなるまでは死んでも死にきれないんですよ」

 核兵器禁止条約が2017年7月に国連で採択されてから3年余り。この間にも被爆者の高齢化は進み、17~20年度に2万8070人が亡くなった。批准した51カ国・地域に唯一の戦争被爆国、日本は含まれていない。

 長女は実家で遺品の整理中に冊子に挟まれていた一枚の紙に気付く。そこには「無口だった」父の思いが直筆でつづられていた。

 「今の地球に少しでも早く核(爆弾)の脅威がなくなりますように。できれば日本の主導で」

 (西田昌矢)

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