【新型コロナ対策】 藻谷浩介さん

◆思い込みの弊害を排せ

 昨年大みそかの紅白歌合戦は見応えがあった。思いのこもった歌と、艶とキレのある演奏が連続していたと思う。しかるに年が明けて、昭和1桁生まれの老父と電話で話すと、「年末の紅白はつまらなかった。8割くらいはごちゃごちゃとグループで歌っていたし」と言う。

 数えたら、ボーカル1人が26組で、ボーカル2人以上は企画ものを入れても21組だった。8割はいくら何でも大げさだ。だが老父の頭の中では「紅白はこうだ」というイメージが固定化しており、事実がどうであっても感想に変化はないのだろう。

 歌番組についての勘違いは笑い話で済む。しかし社会的な問題について事実に反する思い込みを言い募る人が増えれば、世に害が出る。

 例えば欧米には「新型コロナウイルスの感染拡大はフェイクニュースだ」と主張し、マスクや諸制限を拒否する人たちがいる。彼らは「自分が信じたことが事実である」という思考回路なので、説得が通じない。「事実か間違いかという判断は『信じる』『信じない』とは別の話だ」と教わっていないのだ。

    ◆   ◆ 

 日本も欧米を笑えない。最近「近所の高齢女性がマスクもせず、せきをしながら年始のあいさつに来たので、座敷で1時間半ほどお菓子を食べて談笑したら、コロナがうつった」との話を読んだ。

 このお二人は、危ないのは密だ、飲食店だ、旅行だ、夜だ、消毒をしていない場所だといった、不正確な情報を信じ込んでいたのかもしれない。だが事実は「換気の悪い室内で、他人同士で、マスクなしで会話を続けること」が最も危険だということだ。その場に2人しかいなくても、自宅でも昼間でも、こまめに消毒をしていても、感染するかどうかとは関係がない。

 逆に、皆がマスクをして換気が十分であれば、「密」があっても感染は起きにくい。満員の電車でも、宿でも職場でもお店でも、マスクなしで会話をしない限り、危険は低い。どうして正確な情報が伝わらないのか。老父と同じで、頭にこびりついた思い込みが、その後に明らかになった事実の認識を妨げているからではないか。

 そうであれば、緊急事態宣言下で自粛を求める行為は、「店と家とを問わず室内での、他人同士での飲食」の1点に絞ってはどうか。他人同士のマスクなしでの会話は、かなりのところそれで防げる。それ以外の留意点をくっつければつけるほど、対策した「つもり」が横行するだけだ。

    ◆   ◆ 

 緊急事態宣言の期間中は、飲食店は単身者と、同居者同士のグループだけを相手に商売することになるが、全面休業よりはましである。病床の逼迫(ひっぱく)レベルに応じて、都道府県ごとに毎週、知事が自粛要請のオン・オフを決めれば、対策の行き過ぎや不足も減らせるだろう。

 一方で「医療崩壊」は全国一律ではない。人口当たりの感染症対策済み病床数は、都道府県によって4倍以上も違う。九州では大分や佐賀が優秀で、福岡と熊本の数字が良くない。よい方の県に合わせる努力により、受け入れ病院と経済の双方に犠牲を強いている現状を改善せねばならない。自粛要請だけが危機脱出手段ではないのだ。

 冒頭に戻れば、「自分が信じたことが事実だ」という態度は首相にも共通している。判断のロジックを一切説明しない。機能停止させていた国会をようやく開いても、結論だけの原稿を、福岡と静岡を取り違えたりしながら棒読みする。これでは国民の理解、納得、共感は得られない。原稿なしで議論する政治へ、政治家の世代交代が急務ではないか。

 【略歴】1964年、山口県徳山市(現周南市)生まれ。88年東京大法学部卒、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)入行。米コロンビア大経営大学院で経営学修士(MBA)取得。2012年1月から現職。著書に「デフレの正体」「里山資本主義」など。

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