子どもと時計【坊さんのナムい話・25】

 お釈迦(しゃか)様はその人の個性や能力によって教え方を変えました。これを対機説法と言います。その人それぞれの個性と縁を認め大事にしたのです。

 もともとお釈迦様はシャーキヤ国の王子でした。お釈迦様を後継者にしたい父王スッドーダナは、王子が外の世界に興味を持たないよう、お城の中を快楽で満たしたそうです。ただ、それは逆効果で、快楽に溺れることのむなしさに気付いた王子は、家を出て修行者になる決心をしました。いつの時代も親の気持ちは子には届かないものですね。

 私は教員をしていましたが、教員が子育て上手かといえば、そうでもありません。よその子のことと、わが子のことは違います。なまじっか教育事情について知っているがゆえに、変なこじらせ方をします。

 私の長男は、小学1年の時、時計の計算がうまくできませんでした。そんなわが子を見て、私は焦りました。「このままでは時計の読めない子になる」と思ったのです。そこから付きっきりで教えました。いくつも例題を作ってはやらせ、叱り、繰り返し繰り返しやっていきました。しかし息子は一向にできません。悩んだ末、私は担任の先生に相談することにしました。

 深刻な面持ちで臨んだ面談の答えは「お父さん心配しなくても大丈夫。今できなくても、できるようになりますから。みんな時計は読めるでしょう」でした。そのあっけらかんとした答えに、自分の枠に子どもをはめようとしていたことに気付かされました。

 学びにはその子それぞれのタイミングがあります。必要な時にできるようになっていればいいのであって、必ずしも今できる必要はないのです。なのに教科書の進度だけを気にして、よその子ができるから、うちの子もできなくてはならないと思い込んでいた。私は仏教徒でありながら、人それぞれの個性と縁を大事にしたお釈迦様とは正反対の考え方をしていました。

 今、息子は意識することなく時計を読めています。親が子を思う気持ちは尊いものですが、時にそれが子を縛り付けてしまうことがあります。無意識に自分の枠を押しつけようとしてしまいます。私もお釈迦様を見習って、わが子のありのままを受け止めなければと思った出来事でした。

(永明寺住職・松崎智海 北九州市)

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