「知っとうや?」の一言で映画出演【光石研さん連載1】

光石研の As time goes ばい!(1)

 1978年、ムシムシした梅雨の頃。休み時間に友達の小屋町と雑談中、ヒラヒラと新聞の切れ端をなびかせ、友達の中尾が現れた。「お前らしっとうや? 『博多っ子純情』が映画になるっちぇ。それでオーディションがあるらしい。撮影は夏休み博多でやるげな。みんなで受け行かんや?」

 中尾は常に情報通で、学校のあらゆる噂(うわさ)を吸収して僕らに伝えた。あの先生とあの先生は出来てるとか、あいつの家は夜逃げしたとか、学食の経営者が変わったらしいとか、どこで仕入れてきたのか、イチ学生のレベルじゃ無い。そんな中尾が続ける。「小屋町は原作マンガの阿佐にそっくりやから受かるやろ! この小屋町の隣に並んどったら俺らも見てもらえて受かるかもしれんじぇ! こりゃ行かんちゅう選択肢は無かじぇ!」

 情報屋の中尾が言うと何となく理にかなってるように感じる。そして、履歴書を僕と小屋町に渡し「次の数学の時間、これ書きやい! で、昼休み屋上で全身と顔のアップ写真撮るじぇ!」とカメラを出した。「後はじぇんぶ俺に任せやい。俺が出しとっちゃあ。今年の夏は熱くなるじぇ!」。中尾の中では、すっかり絵が出来上がっている様だった。

 定期試験の真っただ中、午前中だけの試験を終え、僕らは博多へ向かった。会場は、西日本新聞社、大丸福岡天神店が入ったビルの催し物会場。既に大勢の中高生が集まっていた。オーディションが始まると、原画にそっくりな小屋町は学生からも審査員の皆さんからも話題になり、早々に内定な感じだった。僕は、前日の喧嘩(けんか)で眉を二針縫って絆創膏(ばんそうこう)を貼っており、そこから質問ぜめになり、喧嘩のまねや酔っ払いのまねをさせられた。お調子者が幸いし、めちゃくちゃ受けた。トントンとオーディションは進み、小屋町と僕は主演の学生に選ばれた。

 もう1人の主演学生は、博多在住本物の博多っ子、中学生の横山司くんが選ばれた。素人ながら僕の俳優人生の第一歩。ちなみに落ちた中尾は、参加賞でいただいた博多人形を駅のトイレで叩(たた)き割って帰ったらしい。

(みついし・けん=俳優。挿絵は渋谷直角さん)

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 映画やテレビドラマで活躍する俳優・光石研さんが、生まれ育った北九州市八幡西区黒崎の思い出や俳優仲間との交流、仕事への愛などを縦横無尽につづります。

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