憧れのスーツ 【光石研さん連載3】

連載:As time goes ばい!

 小学校低学年の頃、箪笥(たんす)の上にかなり分厚い厚紙で出来た箱がいくつも積んであった。興味本位で覗(のぞ)いてみたら、そこには背広が入っていて、父親に聞くとオーダーしたのだと言う。父は、20歳の頃八幡に来て、八幡製鉄所に入社。寮生活をしていたそこに、仕立て屋さんが来ていたらしい。

 日曜日の午前中から、多い月には毎週、何十本も反物を持ってやってくる。新入社員の父は、月賦で購入していたそうだ。30歳の頃になると、その仕立て屋では飽き足らず、街の立派な紳士服店でオーダーしたそうだ。今程背広屋に選択肢が無く、そしてオーダーするのが流行(はや)っていたそう。それらのスーツは、どれもしっかり作られていた。特に冬のツイードのスーツはドッシリ重く肉厚で、まったく形崩れしてなく最高にカッコ良かった。父のいない時、ブカブカのスーツを着てみたりした。当時のサラリーマンは、グレー系のスーツに細身のタイで、子供から見てもカッコ良く、僕は本当に憧れた。

 しかし中高生になって来ると、嫌でも校則が厳しくなり自由を求める。同じようなスーツのサラリーマンが窮屈に見えてくる。同じ時間に起き同じようなスーツを着て、同じ電車で通勤する。もっと自由に好きな髪形で好きな洋服を着て、好きな仕事がしたい! 映画「博多っ子純情」の撮影以降、僕はすっかり当時のスタッフに感化され、古着のGパンにTシャツに憧れた。役者になれば自由で、自分らしい髪形に自分らしい洋服で生活を送れる、そう思っていた。

 あれから四十数年。撮影現場に入る時は自由な服だが、衣装に着替えると、ほぼスーツ。刑事にサラリーマン、医者に弁護士に公務員。年齢的な問題なのか、そんな役ばかりだ。ある年など、ドラマ3本刑事役が続き、あとは医者とサラリーマン。年間300日以上スーツで過ごした。もちろん撮影中は、一日中ずーっとスーツだ。新橋駅前のモーレツサラリーマンの貴兄にも負けない一年だった。

(みついし・けん=俳優。挿絵は渋谷直角さん)
 

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