理想の音は「会話の記憶」から レコーディングエンジニア石橋三喜彦

シン・フクオカ人(19)

 追い込まれたとき、目の前にあるチャンスに気づけるかは、それまでにどれだけ努力を蓄積したかにかかっているのかもしれない。

 石橋三喜彦(62)は、昨年末からスタジオの移転準備に走り回ってきた。

 福岡市中央区今泉でスタジオ「ヒーコン」を経営して31年。福岡では腕利きのレコーディングエンジニアとして知られ、阿部真央、175R(イナゴライダー)など千組を超すプロやアマチュアの音楽制作に携わってきた。

 「理想の音」を追求して見つけた新スタジオは、渡辺通1丁目の商業施設「サンセルコ」の5~7階を吹き抜けにした巨大な“箱”。元はテレビ局のために造られた約230平方メートル(約70坪)の施設で、九州では最大級だ。

 「思い描いていたイメージ通り。ここを見て、頭の中の霧がポーンと晴れた」

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福岡市中央区今泉で31年間続けてきたスタジオ「ヒーコン」

 旧「ヒーコン」は、ビル1階で貸しスタジオ、5階でレコーディングスタジオを営んでいた。老舗で設備やサポートがしっかりしていることから、常連客も多かった。

 しかし、昨年は春先から新型コロナで貸しスタジオの営業を自粛。苦しい経営状態が続き、事業を縮小しようかとも考えた。

 「暇な時間を持て余して、ユーチューブの音楽映像ばかり眺めていた」

 ただ、レコーディングの仕事は途切れなかった。ライブができないミュージシャンたちが、作品づくりに力を向けたからだ。そうした経験が、今回の移転につながることになる。

 初めて音楽に触れたのは、故郷の佐賀県太良町だった。兄の影響で中学からバンドを始め、福岡大学で「フォークソング愛好会」に入った。大学4年からは楽器店でアルバイトしながら「博多パラダイス」というバンドでボーカルを務め、デビュー寸前までいったこともある。

 その後は一時、中古車販売の営業をしていたが、音楽の世界が諦めきれず、28歳でスタジオを始めた。当時の録音はオープンリール。テープを切り貼りする地道な編集作業で徹夜することも多かったが、バンドブームが起きて経営は安定した。別のバンドのギタリストだった妻・啓子(60)と二人三脚で歩んできた。

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ビル3階分が吹き抜けになっている新スタジオ

 新スタジオの候補物件があると聞き、初めて訪れたのは昨年8月。持参したベースとドラムを鳴らしてみて、音の良さに驚いた。広い空間で壁が遠いため、音の「雑味」が少ない。嫌な反響音がしないのだ。

 求めていたのは「アコースティックな音」。クラシックやジャズ、フォークなどの加工しない自然な音を録音するためにも、最適の環境に思えた。

 すると、頭の中にユーチューブで見ていた世界中のミュージシャンたちの作品が浮かんできた。この広いまっさらな空間なら、どの角度からも撮影できるし、壁面を生かした演出もできる。アイデア次第で今まで見たことのない映像が作れるのではないか。

 「これからは映像配信の時代。しかも、クオリティーが高くなければ見てくれない」

 ここならそれができる、と即決した。レコーディングと映像制作、配信を柱にしたスタジオへの転換だった。若い映像クリエーターたちと組むことも決めた。移転を聞きつけたなじみのミュージシャンたちと、既にレコーディングを始めており、予約も入ってきている。

 レコーディングエンジニアの仕事は音を記録し、編集して作品に仕上げること。その上で一番大切なことは「ミュージシャンとの会話」だ。

 今はデジタル処理で、音の補正はかなり自在にできる。だがミュージシャンが求める理想の音を再現するには、その意図を知らなくてはどうにもならない。会話の端々に至るまでの「記憶」が肝心だ。

 あまたのスタジオがある中でミュージシャンたちが厚い信頼を寄せるのは、高い技術だけでなく、人に向き合おうと努力する人間性があるからだろう。それは箱が巨大になっても、変わることはない。

 =文中敬称略(加茂川雅仁)

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