家なき生活4年…「つながり」で生きる台日交流デザイナー 荒木美香【動画】

シン・フクオカ人(20)

 施したら施し返される。「恩返し」の数珠つなぎが途切れることはない。

 4年前から、自宅はない。「台日交流デザイナー」を名乗る荒木美香(40)は、福岡市と台湾・台北のゲストハウスなどを拠点に、1カ月単位で往来する。パソコン1台と、上下5セットくらいの服、生活必需品を収めたスーツケースがの友。「自分に必要なものだけ選んでいたら、自然とこのスタイルになった」

 訪れた土地では、地元の人が集まる居酒屋に行くことにしている。おもしろい人や場所を教えてもらい、仕事に結び付くことが多い。

 福岡県田川市では、台湾人留学生と住民たちの交流イベントを企画した。とんとん拍子で話が進み、2020年度からは地元観光協会の事業として実施されることに。市長や台湾総領事まで協力を表明した。

 ところが新型コロナウイルス禍で、もう1年近く台湾に行けていない。コミュニケーションをつくるのが仕事だから、全部止まった。田川市の事業もだ。それでも、食べるには困らない。いろんな人が気に掛け、仕事を回してくれて、翻訳やウェブサイト制作などを請け負っている。

荒木美香さんの生活必需品が詰まったスーツケース。一つは実家に預け、一つを持ち歩く

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 子どもの頃から「自分にうそがつけないタイプ」だった。周囲が大学進学を決めていく中でも、やりたいことが見つからず立ち止まった。「時間が欲しい」と親に頼み込み、高校卒業後に始めたのが、生花店のアルバイトだ。

 自分は「人と関わること」が好き。人が誰かを思って花を贈る、そこに関わりたいと考えた。生活困窮者を支援するボランティア活動にも加わった。炊き出しをしたり、衣服をリサイクルして贈ったり。そうするうちに、社会問題の解決を事業とする「社会起業家」というキーワードが見えてきた。

 よし、大学で経営を学ぼう。思い立ったら持ち前の突破力で突き進む。母校を訪ねて相談すると、校内の図書室で受験勉強するよう勧められた。担任でも何でもなかった先生が、顔を出しては勉強を見てくれた。

 1年後、福岡大学に入った。高校卒業から実に4年間の“熟考”を経ての進学だった。

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 大学2年、台湾からの留学生と意気投合したことが、人生の転機となる。何度も現地を訪れるうちに、友だちが芋づる式に増えていった。「大好きな人たちの集合体」である台湾そのものが大好きになった。

 東京で営業職に就いてからも、台湾通いは続いた。うわさを聞きつけて、取引先から販路開拓などの相談が持ち掛けられた。それに応じるかたちで2011年、台北で起業する。日系企業の台湾進出や販促活動、インバウンド誘致などを支援する会社だ。日本が成長戦略の一つに「観光立国」を掲げていた時期でもあり、業績は伸びた。

 一方で、仕事が大きくなるほど、その先にあるはずの「人の顔」が見えなくなる。大好きな台湾が遠ざかっていくような気がした。

 私が本当にやりたい仕事って、これだっけ。起業から4年、会社を整理することにした。熊本県の実家に戻ると、再び“熟考”に入った。

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動画「福岡から台湾へのラブレター」の一場面

 やっぱり、人と人のコミュニケーションをつくることが好き。それも「顔」が見えるかたちで。2年間考え抜いて、大学時代を過ごした福岡市を拠点に、台日交流デザイナーとして活動を始めた。

 コロナ禍で仕事が止まった時期には、動画「福岡から台湾へのラブレター」を公開した。「今は会えないけど、私たち日本人はあなたたちが大好き」というメッセージを届けたかった。

 約30人が「台湾愛」を語る動画に、「胸が熱くなった」「私たちも日本大好き」とコメントが相次ぎ、現地の新聞15紙が取り上げるまでに。「台湾で待っています」という“返信動画”が投稿されるなど、大きな反響を呼んだ。

 この先どう生きていくか、長期的な計画はない。自分のスキルも時間も全て差し出す。施し、施されて築いた信頼関係があれば生きていけるに違いない。

 ただし、「自分に素直でいられる環境をつくること」だけは大切にしたいと思う。

 「心のままに生きて、ずっとワクワクしていたい。それが一番楽だし、一番強い」

 そう教えてくれたのは、台湾のみんなだ。

 =文中敬称略(山田育代)

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