人海戦術、はだしの突撃

 今の若者から見れば奇妙に思うかもしれない。1950年に起きた朝鮮戦争北朝鮮と米韓のどちらが先に仕掛けたかについて、一昔前は識者の間に論争があった。マルクス主義を奉じる研究者は北朝鮮による開戦を強く否定し、学生たちは首をひねったものだ。

 その謎は、かつて日本共産党の「赤旗」平壌特派員だった萩原遼氏が、北朝鮮側の文書を調べて書いた労作「朝鮮戦争 金日成とマッカーサーの陰謀」(文芸春秋)で明らかにした。93年のことで、今は北朝鮮がソ連の了解の下に始めた戦争、という見方が定着して久しい。

 だが北朝鮮と、北朝鮮に大勢の兵を送って支援した中国では、今も朝鮮戦争を米国と韓国の侵略とする見方を変えておらず、学校でもそう教えている。

 昨年、中国を含む世界にファンがいる韓流音楽グループ「BTS(防弾少年団)」が米韓両国の犠牲者を追悼する発言をした。すると中国のネット上に「朝鮮戦争で犠牲になった中国の軍人を無視した」「歴史を知らない無礼な韓国人は中国から出て行け」といった反発が書き込まれ、不買運動まで呼び掛けられた。

 このことは逆に、中国でいかに過去が知られていないかを見せつけた。

 戦争当時、中国の毛沢東は共産圏での発言力を高め、ソ連の軍事援助を得るために参戦を決めた。だが「人民志願軍」の名の下に送りこんだ先頭には、国共内戦で捕虜となった元国民党軍の兵士が大勢いた。貴州省や内モンゴルで投降した彼らを中国共産党の将校が指揮し、数カ月の訓練の後で前線へ送り出した。

 同じ中国人ながら、いずれは反革命分子として粛清されるか、戦場で使い捨てにされるかの運命が待つ兵士たちである。「人海戦術」の名で知られた大軍の突撃の後ろには、逃げ戻る兵を処刑する督戦隊が待機していた。気温が氷点下30度に下がる夜があるにもかかわらず、防寒着は行き渡らず、中には靴を失ってはだしで駆ける姿もあった。

 このため、劣勢に陥ると兵士たちは大挙して降伏した。休戦協定が結ばれて捕虜の交換が行われた時に、中国人捕虜約2万1400人のうち、約1万4千人が台湾へ亡命することを選んだが、その多くは元国民党の兵士だった。

 20年前、台北支局にいた私はこうした話をじかに聞こうと、年を取り「老兵(ラオピン)」と呼ばれる彼らを訪ねた。しかし中国で開放経済が進んで台湾との往来が緩和され、多くは故郷に戻った後だった。残っていた老兵も故郷には親族がいる。

 今更、中国の不興を買うような話を外国の記者にはしたくない。口は固く閉ざされたままだった。

 (特別編集委員・上別府保慶)

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