「原発事故は起承転転転転…だ」豊田直巳さんにおばあさんは語った

3・11から10年 豊田直巳さんインタビュー(上)

 フォトジャーナリストの豊田直巳さん(64)が、福島第1原発事故後の立入規制が続く福島県双葉町のある町民の歩みを記録した写真絵本を刊行した。今春、事故から10年。これまで福島の人たちの取材を続け、その心情をドキュメンタリー映画や写真集などで伝えてきた。今、福島の現状をどう見て、何を思うのか。

元に戻る意味の「復興」はもうない現実

 福島県飯舘村の菅野榮子さんは、今、1人暮らし。80代。全村避難の後、仮設住宅で長く暮らし、帰村を果たした。なんと言っても住み慣れたふるさとが一番だ。この10年、無我夢中で生きてきた。夫は震災前に亡くした。首都圏に住む子どもたちは今、「こっちで一緒に暮らそう」と声を掛けてくれるという。

 「昨年(2020年)暮れ、この10年をどう振り返るか、聞いたら、菅野さんは『文章は起承転結で収まるけど、原発事故は起承転転転転…だ(転々として安住の地が見えない)』とおっしゃった。あー、そうか、と思った。菅野さんは仮設住宅では同郷の友人たちと、飯舘に帰るんだ、帰るんだ、と頑張った。帰村後、最初の頃は軽トラックを運転し、自家用野菜を作っている。だけど老いは進む。見守りは、介護は…。運転免許は返納した。今は、子どもとの同居も考えなければならない、と」

 福島県の放射能汚染地域では、除染事業が進み、公共施設や道路などの社会インフラも一定程度、整ってきた。だが、避難指示解除後も、多くの人は戻ってこない。飯舘のおばあちゃんのように戻った人も行く末が定まらない。子育て世代の子どもたちは帰らない。地域コミュニティーは失われたままだ。

 双葉町や浪江町など高線量の放射能汚染地域では家々が朽ちたり解体されたりし、農地は草木に覆われたり除染で整地されたりしている。廃炉や除染の現場で働く人たちが目につく。ふるさとの風景はこの10年で大きく変わった。

 「今、あらためて思うのは、そうした汚染地域には、元に戻るという意味での『復興』はもうないのだ、ということ。放射線量が元に戻るには200年以上かかる。そのことを(避難指示で)ふるさとを追われた人々も知ってしまった。でも、追われた人々は、そのことを認める気にはなれない。なぜなら、それを認めることは自分のふるさとを否定し、失うことにつながる、と感じるから。人々はその重い現実に苦しみ続ける」

あらためて問う「世の中に『絶対』はない」

 東日本大震災と福島第1原発事故からの復興途上にあって、日本は新型コロナウイルスの感染拡大に見舞われた。豊田さんは「世の中に『絶対』はない」ということをあらためて問いたいという。

 「首都圏をはじめ全国で新型コロナウイルスの感染が急拡大しているが、『自分は感染しないだろう』と、正常性バイアスに陥った人々が相当いるのではないか。『コロナ禍』の日常に慣れると感染の恐怖も薄れて、油断が出る面があるのだろう。原発事故の被災地にも同じようなところがある。事故の風化が進む中で、少なくない被災地住民の意識の中で、放射線の怖さは薄れてくる」

 「原発が再稼働した地域の人たちは、自分たちが事故の被害者になるとは思っていないのではないか。事故の怖さを忘れて、原発が動く日常に慣れていく。『安全神話』のようなものがまた頭をもたげてこないか。今こそ、福島の教訓をもう一度、かみしめる時だと思う」

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