4年前の夏、国道10号で出会った「ケーイ」との約束

東京ウオッチ

 先日、本紙朝刊3面の「ひと」欄で、東京都在住のCM制作会社員、森野(けいい)さん(27)を紹介した。自主制作映画「やさしい匂い」が、オリジナル短編映画を競う「第4回渋谷TANPEN映画祭CLIMAX at佐世保」で監督賞と脚本賞を受賞し、グランプリ候補にもノミネートされた。活躍の様子を文章につづる時、私の脳裏にはあの夏の忘れがたい出会いの場面があった。

 2016年9月。人吉支局(熊本県人吉市)勤務だった私は、4月に起きた熊本地震で変わり果てた故郷の姿に涙をこらえながら現場を回っていた。

 南国の太陽がまだ強烈に照り付けていたその日も、震災関連の取材で鹿児島市のラジオ局を訪れた。昼下がり、取材を終えて車を走らせると、国道10号沿いにTシャツ姿の若い男女が立っていた。手には「熊本」と大書した紙。視線は、ずっと車列を追い続けている。間違いない、ヒッチハイカーだ。私も貧乏学生時代にやっていたこともあり、懐かしさが胸に一気にこみ上げた。

 視線の「順番」が私に回ってきた。助手席の窓越しに2、3秒目が合う。「乗せてください」とアピールする眼力に、もう、たまらずブレーキを踏んだ。

 「乗ってく? 人吉までだけど」

 「全然大丈夫です。助かります!」

鹿児島市でヒッチハイク中の森野継偉さん(右)たちを熊本県人吉市まで乗せた記者(中央)。エネルギーに元気をもらった=2016年9月

 汗だくの森野さんが、にかっと笑った。

     ■      

 同じ大学4年の友人女性と九州をヒッチハイクして回っていること。震度7の巨大地震に2度も見舞われた熊本県益城町などでボランティアをしたこと。「バックパッカー」で海外をして映像制作を志したこと…。道中、全開にした冷房の効きが弱いなと思うぐらい、森野さんは熱っぽく語った。

 当時の私は、被災地の進まぬ復興を見ながら気持ちが沈みっぱなしだった。後部座席から伝わる、ひたすら「今」を生きる姿や映像に傾ける情熱は、そんな私に一直線の勇気となって突き刺さった。

 「映画できたら、ばしっと取材するけんね」

 「お願いします!」

 人吉インターチェンジでそう約束し合って別れた。興奮も冷めやらぬまま、私は自身のフェイスブック(FB)に「わけーもん(若者)に負けてらんねー!」と書き込んだ。

 以来、森野さんとはFBでつながっていたが、会うことはなかった。

 20年の暮れ。今回の短編映画祭での活躍と都内在住ということをFBを通じて知り、矢も盾もたまらず取材を打診した。約束の時がこんなにも早く来ようとは。4年前の旅人は、都会のど真ん中で世界を相手に勝負を挑む、りりしい社会人になっていた-。

映像制作への思いについてインタビューに応じる森野継偉さん=2020年12月24日、東京都渋谷区(撮影・中村太一)

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 くだんの映画祭は17年から、「兄弟商店街」の関係を結ぶ長崎県佐世保市の四ケ町商店街と東京・渋谷の渋谷センター商店街が共同開催している。2月27、28日に佐世保市で開催予定の上映祭で、グランプリが決まる。

 森野さんは、20年春の緊急事態宣言中に「やさしい匂い」を製作した。費用約20万円のうち、半分は、国民一人一人に支給された特別定額給付金の10万円を充てた。いかにも、映像に「全集中」する彼らしい。

 「やさしい匂い」は、動画投稿サイト「ユーチューブ」で視聴できる

 私も早速、視聴した。ネタバレするので詳述はやめるが、とにかく脚本の妙である。さらに、森野さんのことを「ケーイ」と親しみを込めて呼ぶ友人たちからFBなどで集めた、海外映像の使い方が素晴らしい。若手クリエーターの斬新な発想を、ぜひ一度、ご覧いただきたい。

 あの残暑の日。かげろうの立つ国道で車を止めていなかったら、こんな感動も味わうことはできなかった。一瞬の出会いが、新聞を通じて再会に結び付き、そしてまた、その人の今の生きざまを広く世に伝えられることがある。新聞記者って、だから、やりがいがある。

森野継偉さんを取り上げた西日本新聞朝刊の記事(今年1月30日付)

 コロナが落ち着いたら、酒を酌み交わそう。そして、また夢を語ろう。ケーイとそう次の「約束」をした。(郷達也)

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