「みやこ町はミャーコ町」〝猫遺産〟で観光振興

 みやこ町を「猫の町」としてPRしようと、みやこ観光まちづくり協会が構想を練っている。町歴史民俗博物館によると、日本最古の猫の記録は町内が舞台。所蔵品には小説「吾輩は猫である」の主人公の「死亡通知」はがきもある。作者の夏目漱石が親しい4人にだけ送った中の1通だ。まちづくり協会は「ミャーコ町」の“猫遺産”をアピールし、近年の「猫ブーム」に乗って観光振興を図る。

 日本で猫が登場する最も古い文献は「日本霊異記(りょういき)」という平安時代(822年ごろ)の説話集。全116話の一つに、豊前国宮子(みやこ)郡(京都郡)の小領(次官)だった膳臣広国(かしわでのおみひろくに)という男が出てくる。急死から3日後に生還した広国が、黄泉(よみ)の国で再会した父親の話を語る。

 生前の行いが悪く地獄で苦しめられた父親は空腹を満たすため動物に姿を変えて広国の家を訪れていた。1年目は大蛇、2年目は犬になったが追い払われた。3年目、猫になるとついに入れてもらえ、3年間の空腹を満たしたという。「悪行を重ねると報いを受ける」という戒めらしい。猫は野生か飼い猫か不明だが、当時から身近な存在だったようだ。

 博物館学芸員の井上信隆さん(47)が注目するのは、広国が郡の高級官僚だったこと。みやこ町には豊前国の国府(現在の県庁)跡があるので、役所勤めの広国はその近辺に住んでいたと推測する。猫好きの井上さんは「日本では猫の記録の歴史はみやこ町から始まったんですよ」と興奮気味に話す。

 「吾輩」の死亡通知は1908年、漱石が門下のドイツ文学者、小宮豊隆に宛てたものだ。「昨夜いつの間にかうらの物置のヘッツイの上にて逝去致候」「但主人『三四郎』執筆中につき御会葬には及び不申候」などとユーモアたっぷりに記している。

 みやこ町出身の小宮は、進学した東京帝国大で英語講師の漱石と出会い、敬愛。生涯にわたる師弟関係を築いた。小説「三四郎」のモデルといわれる。82歳で死去してから30年後の96年、蔵書や手紙など大量の遺品を遺族が郷里に寄贈した。猫死亡通知はがきのほか、猫の体に自身の似顔絵を付けた漱石自筆のイラスト入り手紙もある。これらを目当てに遠方から博物館を訪れるファンも多いという。

 まちづくり協会の水上斗夢事務局長(36)は「これだけのストーリーがあれば、なぜ『猫の町』なのか説明がつく。例えばキャラクターのデザインをネットで募集し、グッズの開発・販売につなげる方法もある。具体的な戦略を立てたい」と話している。 (石黒雅史)

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