「原発をやめるのは簡単じゃない」枝野氏に聞く

 2011年3月の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から間もなく10年を迎える。立憲民主党の枝野幸男代表(56)は当時、菅直人政権の官房長官として危機対応に当たった。原発政策、行政のあり方…。未曽有の災害と政府の中枢で対峙(たいじ)した経験は現在、野党第1党の党首となった自身の考え方や政治姿勢にどう影響しているのか。枝野氏に単独インタビューした。(聞き手は川口安子)

◆「小さな政府」の誤り

 《枝野氏は震災直後に官邸で危機対応を指揮するとともに、政府のスポークスマンとして1日に何度も記者会見し、国民に説明する役割を担った》

 -当時を今、どう振り返りますか。

 「被災者の皆さんも同じように答える気がするんですが、振り返る話じゃないんですよね。昔のことを振り返るみたいな意識はまったくない。11年3月11日から今まで現在進行形、という意識です」

 -震災は、ご自身の考え方にどのような影響を及ぼしましたか。

 「考え方が変わったわけじゃないけど、確信を深めたことはあります。(行政のスリム化を追求する)『小さな政府』、競争万能主義みたいなところは違うよね、と」

 「例えば、平成の大合併が明らかに失敗だということに気づきました。(05年に1市6町が合併した)宮城県石巻市の場合、(中心部から離れた)旧雄勝(おがつ)町は明らかに市役所の本庁から見え方が遠かった。逆に合併していなかった小さな町や村は独立した基礎自治体という単位があることで、情報が集まりやすく、中央のわれわれも対応しやすかった。

当時はまだ、役所は小さいほど良いという空気が世の中を覆っていました。行き過ぎた行政の効率化は間違いだ、変えないとまずいという確信を持ちましたね」

 -小さな政府は、バブル経済崩壊後、日本が下り坂にある中で生き残りを図るために採られた方策だったのではないですか。

 「そこは僕は違うと思いますよ。逆に下り坂だと気づいていなかったからやっちゃったんですよ。高度経済成長期の延長線上にあると思っていたから、新自由主義的なことをやれば効率化され、経済が良くなっていく。合併すれば、財政力が大きくなって旧町村も発展するに違いないと。でも、こうした昭和の発想のままではまずいということが、震災で顕在化したんだと思います」

 -小さな政府の問題は、10年後のコロナ禍でも医療人材の不足などの要因となっていると。

 「そうです。だからこの10年間、残念ながら前に進んでいなかったということが今顕在化していると思います」

◆「この国どうなるんだ」

 -政府の中枢で原発事故を経験したことで、ご自身の原発に対する考え方に変化はありましたか。

 「あれがなければ、たぶん原子力政策に僕はコミット(関与)していなかったと思います。つまり、あの時点までは『原発は安全だ』と世の中全体で言われていたので、私も『まあ、安全なんだろう』と思っていた一人でした。でも全然違うじゃない、と」

 「原子力は止まらない。ある段階を超えると人の手ではどうにもならない。あのとき感じたのは『恐怖』ですから。個人的な恐怖じゃなく『この国どうなるんだ』っていう恐怖です」

 -それまでは安全だと思っていたのに?

 「いや、安全だということ自体も主体的に判断していたわけではない。政治的イシュー(課題)ではなかったということですよ」

◆苦渋の大飯原発再稼働

 《枝野氏は官房長官退任後、野田佳彦政権で経済産業相に就任。原子力政策の指揮を執る立場になった。在任中、12年7月に関西電力大飯原発(福井県)を再稼働させた》

 -大飯原発の再稼働はどういう理由で判断されたのですか。

 「あのときは本当に電力供給が不足するかもしれないという、これまた恐怖ですから。関西圏でブラックアウト(全域停電)が起きれば、医療現場では人命に関わる。原発を使えば少なくともそのリスクは大幅に下がることが分かっているわけです。再稼働すれば、発生確率は低いが万が一の事故が起こった時のリスクが大きい。二つのリスクを比較、考慮しなければならなかった」

 -大飯再稼働は苦渋の決断だったと。

 「もちろんです。政治の決断ってほとんど苦渋の決断ですから」

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