大崎事件、供述変遷揺らぐ自白 【捜査】兄弟証言に食い違い

 鹿児島県大崎町で1979年に男性の遺体が見つかった大崎事件で、原口アヤ子さん(93)を殺人などの罪で有罪とした確定判決の証拠の柱は、犯行を認めた親族3人の「自白」だった。アヤ子さんが裁判のやり直しを求める再審請求の26年の歴史で、自白の信用性は三つの裁判体が否定、一つが疑問符を付けた。再審開始決定は3度出されたが、最高裁は一昨年6月、「自白は信用できる」とし、第3次請求での地裁、高裁の再審開始決定を取り消した。その判断は正しかったのか。鹿児島地裁で審理中の第4次請求でも鍵を握る自白内容を読み解いた。 (編集委員・中島邦之)

 アヤ子さんの義弟・四郎さん(被害者)の遺体が自宅の牛小屋で発見されたのは1979年10月15日。夫の一郎さんと義弟の二郎さんが18日、アヤ子さんは30日に逮捕された。

 アヤ子さんを主犯とした確定判決は、犯行の経緯をこう描いた。(1)12日夜、泥酔し自宅の土間に座り込む被害者を見たアヤ子が、日頃の恨みから殺害を決意。二郎、一郎に助けを頼む(2)被害者宅で一郎がタオルを使って首を絞め、2人は手脚を押さえていた(3)二郎の息子・太郎も加わり、遺体を牛小屋に埋めた-。

 鹿児島県警は遺体発見の直後から一郎さんと二郎さんを取り調べ、供述調書を何通も作成。2人はすぐに実弟の四郎さん殺害を認めたが、なぜか自白後は、2人の供述は変遷を重ねる=表1、2参照。

■誘導はなかったか

 当初はともに「自分たち2人の犯行」と自白。その後、一郎さんは妻アヤ子さんの関与を認め、最後は「妻に殺害を誘われた」とアヤ子主犯のストーリーに。二郎さんも当初の「私が誘った」が「兄に誘われた」になり、最後は「アヤ子に誘われた」と変わっていく。

 変遷は殺害場面という事件の根幹部分にもある。一郎さんは当初「弟が両手で絞めて殺した」と供述。それが「2人がタオルで絞めた」を経て「私がタオルで絞めた」に変わる。なぜ大きく変遷したのか。

 遺体発見翌日の捜査報告書に「死因は扼殺(やくさつ)による窒息死と推定される、と15日夜に解剖医から連絡あり」との記録を確認できる。扼殺とは手で絞める殺害方法だ。供述分析に詳しい識者は「過去の冤罪(えんざい)事件からも、犯行を認めた容疑者が理由もなく供述を変遷させていれば、捜査情報を握る取調官による誘導が疑われる」と語る。「両手で絞めた」とする当初の自白について、“解剖医の推定”を知る捜査側による誘導はなかったのだろうか。

 一郎さんが当初、アヤ子さんの関与を認めなかったのは妻をかばったとの見方もできる。ただ一郎さんは二郎さんより相当に早く妻の関与を認めており、その見方は説得力を欠く。

■法医学の裏付けなし

 2人の供述内容の食い違いも不可解だ。殺害後の遺体処理を巡り、一郎さんは「自分が牛小屋に埋めようと提案した」。二郎さんは「アヤ子が提案した。私も兄も考えがなかったから従った」とかみ合わない。

 共犯者自白には、それを裏付ける法医学鑑定もない。確定審では、解剖医の城哲男鹿児島大教授(当時)が死因を「頸部(けいぶ)圧迫による窒息死」と鑑定。タオルによる絞殺との自白を支えた。だが再審請求後には「被害者が当時、側溝転落事故に遭っていたことを聞いていなかった。今は、他殺か事故死か分からない」と自らの鑑定を訂正した。

 4次にわたる再審請求では、九州大の池田典昭教授や検察側推薦を含む法医学者たちが「頸部に首を絞めた痕跡がない」「頸部圧迫による窒息死を積極的に示す所見はない」などとする鑑定結果を出した。つまり「タオルによる絞殺」という自白は、客観的裏付けを失っている。

元取調官は適正捜査を強調 強制、誘導は否定

 取り調べは適正だったのか-。検察側は2002年に最初の再審開始決定が出た後、事件当時に取り調べに当たった元警察官などから話を聞き、調書を作成。いずれも強制や誘導を強く否定している。 一郎さんを調べた警部補(事件当時)は、自らは殺害現場を見ておらず供述を誘導できないなどと主張。太郎さんの調べの補助役だった巡査部長(同)も誘導を強く否定し、太郎さんは自白後、胸のつかえが取れたのか表情が明るくなったと述べた。二郎さんの担当だった警部補(同)は、取調室では大声を出したりせずに自主的に供述するように促したと説明。自白した3人を取り調べた担当検事(同)は、誘導や強制は一切なかったとした。

PR

社会 アクセスランキング

PR