『となり町戦争』三崎亜記は問う、日常に潜む思考停止の陥穽

フクオカ☆シネマペディア(26)

 かつて福岡県久留米市役所に勤めた作家、三崎亜記の想像力は、自治体間の戦争を描いて突き抜けた。彼のデビュー小説が原作の映画「となり町戦争」(2007年、渡辺謙作監督)は、ある町が隣町を相手に行政実務の一つとして戦争を始め、市民が動員されるという、とんでもない物語だ。ちょっとゆるくてユーモアをまぶした演出がなければ、もっと怖い映画になっただろう。

 行代理店勤務の北原(江口洋介)が住むのは、のどかな地方の町。ある日、町広報誌の片隅に戦争のお知らせを見つける。後日、今度は「戦死12人」の数字が…。北原は驚くばかりだ。銃爆撃の音はなく、平穏な日常が続く中、北原は「戦時特別偵察業務」の従事者に任命される。

 いきなり電話で連絡してきたのは、町戦争推進室の香西(原田知世)。交戦中の隣町を通って通勤する北原に状況を報告せよというのだ。あれよあれよという間に、「公共事業としての戦争」に巻き込まれる北原。果てには香西とともに夫婦を偽装して隣町に住み「潜入偵察業務」に従事することになるのだ。

 この戦争はあくまで民主主義の手続きを経て執行される。法令に基づく行政実務として国民を動員していく。香西ら町側は町民説明会でこう語る。「広報誌で隣町と戦争すると伝えた。町民は理解しているはずだ」「議会も(事態打開に)『最も効率的だ』と認めている」「町が決めたのではない。あなたたちが選んだ議会が決めたことだ」

 中には「なぜ隣町の人間と殺し合いをしなければならないのか」と聞く町民もいる。町は「われわれは(隣町と)殺し合いは行っておりません。戦争の結果として、死者が出る、ということですので…」と言う。とぼけた言い回しだが、戦死者への弔意はうかがえず薄ら寒い。

 想像を絶するフィクションだ。しかし、どこか、今の日本と地続きにあるような、現実味を感じる。選挙で勝ち続け、説明責任を果たさず政策転換の強行を重ねる。不祥事が起きても、うそを重ねてやり過ごす。そんな政治権力の暴走を、すんなり受け入れてきたように映る民意の静けさが気になっているからだ。

 強化される政治・行政システムに対し、思考停止して自ら収まる物わかりの良さが習慣となるなら危うい。三崎は、戦争ですら「公共事業だから」と言われればうっかり容認してしまうような同調社会の陥穽(かんせい)は、実は日常の中に潜んでいないか、と問いたかったのではないか。今にも通じる高感度の問題意識だと思う。

 映画は、戦争執行という行政システムに取り込まれるままなのか、人間として生きるのか、北原と香西の偽装夫婦を通して、見る側に問いかける。

 それにしても、原田演じる香西が、町民説明会で淡々と語る言葉が耳に残る。「(開戦のお知らせに)黙っていたことは認めたのと同じです。それが民主主義のルールです」 (吉田昭一郎)

※「フクオカ☆シネマペディア」は毎週月曜の正午に更新しています

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