道半ばの復興 問われ続ける日本の底力

 <人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは、苦しくてつらいことです。見せましょう、日本の底力、絆を>

 有名なこの言葉は、東日本大震災の翌年、被災地・宮城県の石巻工業高野球部の阿部翔人主将がセンバツ大会の選手宣誓で発したものだ。

 大震災は2011年3月11日に起こった。あれからもう10年か、まだ10年か-。家族と故郷を奪われた被災者の思いはさまざまだろう。ただ、まさに日本の底力を問う日々が続いていることだけは確かだ。

 国内の観測史上最大の地震が大津波をもたらし、それは世界最悪レベルの原発事故を引き起こした。死者・行方不明者2万2千人を超える未曽有の複合災害である。全国各地への避難者はなお福島県出身者を中心に4万人以上を数え、うち九州は1400人余に上る。

■防潮堤建設は進むが

 「3・11」は、日本の防災力のもろさを象徴する悲劇が教育現場で起きた。

 三陸海岸から3・8キロ西にある宮城県石巻市立大川小学校。校舎は大津波にのまれ、校庭にとどまり逃げ遅れた児童と教職員計84人が犠牲になった。

 避難できる裏山があるのに教職員はそこへ誘導しなかった。市の避難計画で大川小は津波の浸水想定区域外だった。一帯は明治と昭和の三陸地震で津波を経験していたが、それは平成の世に生きなかった。過去の災害の教訓をいかに伝承するか。日本全体の課題となった。

 児童の遺族が県と市を相手取った訴訟では、学校側の避難誘導を「過失」と認めた判決が最高裁で確定した。市や校長に「高いレベルの知識」を求めた。学校現場には酷との声もあったが、その後各地で頻発するようになる豪雨や河川氾濫などの災害に積極的な対応を行政に促す司法判断となった。

 災害は気象専門家、行政、住民組織、医療機関、ボランティアなどが力を合わせる時代に入った。そのノウハウは、この10年間で格段に蓄積された。

 東北を中心に太平洋沿岸では今、巨大防潮堤の建設が進む。総延長約430キロの約8割が完成した。高台に整備された住宅地などと併せ、そこには甚大な被害の跡形は見えない。

 人口減は続き、農水産業の復活が思うようにいかないという現実はある。それでも、外形的には被災地の復興は進んでいるようにも感じられる。

 だが国道6号を南下し、被災した東京電力福島第1原発が立地する福島県の双葉町、大熊町が近づくと、様相は一変する。

■出口の見えぬ汚染水

 原発は津波で全電源を失い放射性物質を放出した。非常用電源の地下設置という初期の設計ミスが大きく響いた。なお除染が終わらない周辺の計7市町村に帰還困難区域がまたがり、無人化した住宅や病院が並ぶ。

 困難を極める原発の廃炉作業は数十年かかるとされ、完了のめども立たない。地下の汚染水を浄化した処理水の大型タンクは原発敷地内に収まらないほど増え続けている。処理水をこのままにはできない。

 フクシマの復興なくして、大震災の復興は終わらない。

 原発事故は科学技術の暴走の結果でもあるが、その現場を制御し浄化するには、科学技術のもう一段の進展と、それを支える社会の厚みも欠かせない。

 新型コロナ禍の収束後の世界は環境負荷を極小化するグリーン化が合言葉という。日本も社会・経済の姿を変えていけるのか。エネルギー政策を見直し、原発をいかに位置付け、被災地といかに向き合うか。ここでも「日本の底力」が問われる。

 災害多発地であり原発が稼働する九州でも、重い課題に取り組み続けねばならない。

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