ダイエーの軌跡(上)売り場に残る「DNA」 平山敞氏に聞く【復刻連載】

※大手スーパーダイエーの元副社長で、79歳で死去した故・平山敞(ひらやま・たかし)さん。地場の旧ユニード(福岡市)や旧ニコニコ堂(熊本市)の社長を歴任し、福岡・九州の流通に大きな足跡を残した平山さんへの生前のインタビューを復刻します。記事は2014年11月7日に経済電子版「qbiz」に掲載。文中の年齢、肩書、名称などの情報は全て、掲載当時のものです。

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 かつて流通業最大手だったダイエーは、2015年1月に流通最大手イオンの100%子会社になる。18年度をめどに「屋号」も消える見通しだ。

 ダイエーが買収した福岡市の地場スーパー「ユニード」の社長を務め、一時ダイエー創業者の故中内〓(いさお、「工」へんに「刀」)氏とたもとを分かちながらも、2001年に営業トップの副社長として一時復帰した平山敞氏(72)に、ダイエーの軌跡を聞いた。

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 先日、10年以上ぶりにダイエーの店に足を運んだ。1階の食品売り場、ダイエーでは、食品部門の中で、昆布やたらこといった「塩干(えんかん)」を扱っていたから分かるが、この店のめんたいは色、形がいい。干物もマグロの刺し身も質が良い。

 平日の午後3時半で、品物がこれだけそろっているのは立派。鮮度、量、季節感…。野菜の陳列にも工夫がある。頑張っている。食品に強いダイエーの伝統がしっかり生きている。

 それに引き換え、生活品売り場は厳しい。例えば、掛け布団。価格が12万円近くもするのに、陳列が雑。客の購買意欲をそそらない。エスカレーターの近くにある特売コーナー。準備中なのか。空き箱が放置されたままで、売り場が死んでいる。商品棚の並べ方が悪く、奥の売り場が見えない。衣料品の品ぞろえも全体に色合いが暗い。店員もどこか覇気がない。

 中内さんは現役時代、いつも「客の目で売り場を見てみろ」と言っていたが、こうして見るとよく分かる。売れなくなると、店が荒れる。ダイエーに限らず総合スーパーの厳しさは、今も変わっていない。

 ダイエーを退任して以降、なんとなく店を避けていた。テレビで関連ニュースが流れても、無意識にチャンネルを変えた。だからダイエーの屋号もなくなると聞いても、今は特別な思いはない。

 もちろん、復帰して営業トップとして一時再建にかかわったのは事実。私にも責任の一端はある。だが、イオンの傘下に入った時点で、事実上ダイエーは消えたと思っていた。イオンもいくつかのスーパーが合併して成長してきた企業。以前使っていたジャスコという屋号も変えた。「看板」を変えることに抵抗が少ないのかもしれない。

 《平山氏にとってなじみがある屋号が消えるのは2度目だ。ダイエー取締役から、1987年にユニードの社長に就任。4年間で90億円を超える累積損失を一掃し、売上高で九州流通トップを奪還。復配も果たした。だが、中内氏から示されたほかのグループ企業への異動を拒否し、退任。その後、業績が悪化したユニードはダイエーに吸収合併され、94年春には屋号も消えた》

=聞き手は曽山茂志

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