悪疫に苦しんだ中世博多。貿易商・謝国明が町民に振る舞ったそばが…

博多と中国を結び、多様な文化をもたらした謝国明と、年越しの「運そば」の歴史

 新しい年を迎えるに当たっての習慣はいろいろあるが、中でも来る年の幸運を願って食べる年越しそばは欠かせないもの。博多では「運そば」というこの風習は、もともと福岡市博多区にある古刹・承天寺を建立し、聖一国師を迎えて開山とした鎌倉時代の渡来人・謝国明(しゃこくめい)の貧民救済の行いから始まったといわれる。宋と博多を行き来して、日本にさまざまな文化をもたらした貿易商である謝国明とは。

☞飢えた町民にそばがきを
 承天寺から南に歩いて7、8分の「出来町(旧町名)集会所」の庭に、「大楠さま」と親しまれているクスがある。これが謝国明のお墓である。枯れた古木で、高さ5mほどから上の部分はなくなっているが、根回りは4、5抱えもある巨大な株。往年の威風堂々とした姿を容易にイメージさせる。
 このクス自体が謝国明のお墓だったわけではなく、5層の石塔でできた墓の傍らに植えたクスが幹を太くし、成長するうちに墓を包み込んでいったという。明治期の中ごろまでは石塔らしいものが見えていたが、ついにのみ込まれたとか。現在、すぐ横に枝を伸ばしているクスは戦後に植えられたものだ。

謝国明の墓と伝えられる巨木(1986年)。今と比べてみよう


 12世紀の末ごろ宋で生まれた謝国明は、...

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