原発再稼働、先頭走る九電 信頼回復は道半ば

【東日本大震災10年 九州の電力事情】

 2011年3月の東日本大震災、福島第1原発事故を機にエネルギー政策の見直しが進んだ。九州では事故後に施行された原発の新規制基準を満たした4基が再稼働。太陽光発電の整備が進み、再生可能エネルギーの出力が増加した一方、天候により発電量が不安定な再エネは主力電源を担うまでには至っていない。火力発電には世界的な脱炭素の流れを受け、厳しい逆風が吹く。九州は原発再稼働や再エネ導入など震災後のエネルギー政策で「フロントランナー」の役割を担ってきたが、10年たち、課題やひずみも浮かび上がる。(山本諒)

問われ続ける安全「問題起きれば次はない」

 九州電力にとっては、失われた原発への信頼回復に腐心した10年間だった。

 福島第1原発事故後の2011年7月、玄海原発(佐賀県玄海町)2、3号機の再稼働に向けた佐賀県民向け説明番組を巡り、九電が再稼働への賛成意見を投稿するよう社内や関連会社などに呼び掛けた「やらせメール」問題が発覚。九電への逆風は強まった。

 「原子力の安全性、信頼性の向上を当社のDNA(遺伝子)として永続的に根付かせる」。瓜生道明会長(当時社長)は17年、玄海3号機の再稼働を前に、佐賀県の山口祥義知事に誓った。企業風土や意識改革を進め、社員には行動指針を記載した「コンプライアンス(法令順守)カード」を携帯させた。

 福島事故前、九電の発電量に占める原発の比率は約4割だったが、原発停止でゼロに。代替の火力燃料費がかさみ、13年3月期決算は過去最大となる3324億円の純損失を計上するなど赤字が続いた。電気料金の値上げにも踏み切った。

 経営が悪化する中、原発再稼働が最大のテーマとなり、15年に福島事故後の新規制基準原子力規制委員会の審査に合格した全国初の原発として、川内1号機(鹿児島県薩摩川内市)再稼働にこぎ着けた。一方で老朽化し、出力も小さい玄海1、2号機は廃炉を決定。18年には当面目標とした原発4基体制に復帰し、19年度の発電量に占める原発比率は35%まで戻った。

 20年には新規制基準で義務づけられたテロ対策施設「特定重大事故等対処施設」も、川内原発に全国で初めて完成。ある幹部は「再稼働では先を走ってきたが、信頼が元通りになったわけではない。問題が起きれば次はないし、プレッシャーも感じる」と漏らす。

   ◇    ◇ 

 先行きには課題も抱える。福島事故後、原発の運転期間を40年とするルールが導入され、将来の劣化に備えた対策が十分な場合のみ例外的に最大20年の運転延長ができると規定された。

 全国では関西電力が福井県の美浜、高浜原発の計3基で40年超の運転を規制委に許可され、地元の福井県知事の同意を待つ。

 九州では川内1号機が24年7月、2号機は25年11月にそれぞれ40年を迎える。川内原発には再稼働に当たって4千億円超の安全対策費を投じており、九電は延長を申請するとみられるが、幹部は「まずは安全性向上の努力を知ってもらい、地元の理解を深めたい」と慎重に言葉を選ぶ。

 原発政策を巡っては、長年課題となっている高レベル放射性廃棄物核のごみ)の処分場選定で、北海道の寿都(すっつ)町と神恵内(かもえない)村が文献調査に手を挙げるなど進展もあるが、道などは反対姿勢で今後は見通せない。

 政府は昨年末にまとめた脱炭素社会を目指す「グリーン成長戦略」で、原発について「依存度を低減しつつも、引き続き最大限活用していく」との方針を掲げたが、新増設や建て替えの議論にはなお及び腰だ。

 電気事業連合会会長を務める九電の池辺和弘社長は、2月の会見で東日本大震災10年の所感を問われ、「いまだに福島の皆さまにはご不便をお掛けし、心苦しく感じている。電力業界としては肝に銘じて取り組む」と述べた。国民の原発への不信はなお根強く、乗り越える課題も多い中、大手電力のまとめ役として池辺氏の手腕も問われそうだ。

 

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