支援者離れ乗った「出口戦略」 奥田氏、知事選断念

 8日午後、自民党本部。福岡県知事選に出馬の意欲を示していた奥田哲也は一転、さばさばとした表情で記者団に出馬を断念する考えを表明した。奥田はこの直前、総務相武田良太側近の衆院議員宮内秀樹とともに党幹事長室で二階俊博と向き合った。「おまえには次があるだろう」。二階から出馬見送りを求められた奥田は、すぐに「分かりました」と答え、会談は10分で終了。自民の支援候補が副知事の服部誠太郎に一本化されることが、事実上決まった。

 奥田は3日には「(自民分裂でも)不退転の覚悟でやる」と決意を語っていたが、面会後には「出馬する思いは強いが、幹事長が私ごときに向けておっしゃったのは非常に重い」と殊勝な態度に変わっていた。

 自民分裂を回避するようお願いされて自ら身を引いた形を取れば奥田の傷は浅く、自民党に「貸し」もつくれる-。この「出口戦略」は7日に奥田に電話で伝えられていた。関係者によると、着地点を描いたのは武田だったという。

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 奥田擁立劇を仕掛けたのは、2年前の前回知事選で小川洋を支えた支援組織「県民の会」の国会議員やOBたちだ。県議会の重鎮蔵内勇夫に県政の主導権を握られることへの強い警戒心があった。

 奥田によると、最初に声を掛けてきたのは親交があった元幹事長の古賀誠。「福岡のためにやる気はあるか」と口説かれ、出馬の腹を固めた。元党副総裁の山崎拓は昼食会を開き、企業などとの面会を仲介。宮内らも地元回りに協力した。

 武田は2月24日夜に県選出国会議員が集まった東京・赤坂の議員宿舎での会合で「奥田という腹を決めた人がいる」と紹介。同時に「蔵内の好きにさせてはいけない」とも呼びかけた。

 だが、前回の自民党分裂選挙のトラウマは深い。出席者からは「小川継承なら服部でいいのではないか」「コロナ禍で分裂は避けたい」との声が相次いだ。

 財界も同様だ。小川の後援会長で九州電力特別顧問の松尾新吾は、奥田からの支援要請を「急にあなたに立たれても戸惑いもある」とかわした。面会そのものを断った人もいたという。

 小川の後継として「県民の会」の支援を受けられると思っていた奥田にとって鈍い反応は誤算でしかなかった。小川の辞表提出から告示まで約1カ月というタイトな日程で、奥田を担いだ側も「見切り発車だった」(自民県連関係者)。

 「古賀さんが奥田から手を引いたようだ」。奥田側には撤退ムードが徐々に広がる。武田が周辺に「服部さんは小倉高校の先輩だ」と説明したことも「奥田離れ」と捉えられた。5日夜には、武田が服部擁立を容認している財務相麻生太郎と大臣室で約30分にわたって面会。「武田が降りた」。県政に広がったうわさは、奥田不出馬の流れを決定づけた。

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 思うように支持が広がらない奥田側とは対照的に、服部を推す自民党県議団は、党選対委員長の山口泰明を巻き込み、周到に外堀を埋めていった。山口は県連に迅速な選対の立ち上げと候補の一本化を指示し、奥田の準備ができる前に服部への流れを固めたい県議団を結果的に後押しした。

 県議団は「小川県政継承」を掲げ、立憲民主党などが所属する民主県政県議団とも服部支持で話を付けた。奥田は結局、正式に出馬表明できず、7日夜の国会議員団との面談は不参加。県連は9日、党本部に服部の推薦を申請する。

 自民ベテラン県議は、満足そうに語った。「奥田、古賀、武田、みなさんの体面を傷つけない美しい形だった」 (敬称略)

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