「ツバキの巨匠」舜ちゃん引退 親友と地元を名所に

 「世界のつばき館」や「久留米つばき園」のある久留米市草野町。ここをツバキの名所にした2人の“巨匠”がいる。久冨舜介さん(84)と赤司己喜雄さん(83)だ。ともにツバキ生産者として、駆け出しの頃から切磋琢磨(せっさたくま)してきたライバルであり親友。そんな久冨さんが昨冬、六十余年の生産活動から引退すると決めた。2人に会いに行った。

 久冨さん宅を訪ねた赤司さんは、ピンポーンと鳴らしたチャイムよりも大きな声で「しゅんちゃーん」。しばらくしてつえをついた久冨さんがゆっくり出てくると、赤司さんを見てにっこり笑った。

 2人は同じ草野小、草野中を卒業。久冨さんが学年は一つ上だ。久冨さんは代々続くツツジ生産者の次男で、兄がツツジを継ぎ、自分は独立。稲作農家の次男の赤司さんは、コメからの転換で植木業を始めた。

 2人は新種の買い付けや技術を学ぼうと、10トントラックで日本中を巡った。大阪、京都、埼玉、東京で珍しい品種を買い込んだ。まだ高速道路が十分に整備されていない時代。「若かったからできたよなあ」と久冨さんは笑う。

 集めたツバキに品種改良を加えた自信作は「久留米ツバキ」と名付けた。「世界中に広めることが夢だった」。1972年に当時の皇太子妃、美智子さまも訪れた東京三越の「椿展」に初出品。中国との国交が正常化してからは原種ツバキを求めて海を渡った。ベトナムやブラジル、南アフリカなどにも足を運んだ。

 一方で、愛好家が集まる「全国椿サミット」や「国際ツバキ会議」に参加し、PRを続けた結果、2010年には両イベントの久留米への誘致に成功。草野町に残る樹齢150年を超える古木・名木を、国内外の愛好家約200人にお披露目できた。その後、久留米つばき園や世界のつばき館の開設にも携わった。

 久冨さんが手塩にかけたツバキは昨年、シンガポールの植物園の社長に見初められ輸出もされた。ところが年の暮れには作業を支えていた妻幸恵さんが亡くなった。耳が遠く、足も不自由な久冨さんは引退を決意。「年には勝てん」と久冨さんは笑い、赤司さんは「本当に頑張ってきたよ」としみじみ。久冨さんが担ってきたつばき館の管理は赤司さんが引き継ぐ。

 2人の心配事は、後継者不足だ。ツバキ生産者は全盛期の4分の1まで減った。世話をしてくれるボランティアの人繰りもつかないのが現状だ。久冨さんは話す。「花は美しさで人を楽しませてくれる。若い人にも植物を愛してほしいね」

 (平峰麻由)

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