悲劇の菊姫を祭る地蔵尊【山田地蔵尊・宗像市】

※記事は2016年3月26日付本紙朝刊から。文中の年齢、肩書、名称などの情報はすべて掲載当時のものです※

 宗像支局に着任して以来、「菊姫様」にまつわる話をあちこちで聞いた。戦国時代、政争に巻き込まれた悲劇の姫。その菊姫を祭る山田地蔵尊は、緑の山々が間近に迫る田園風景の中にあった。日本の原風景といったたたずまい。四季の花と静寂に包まれる境内では、参拝のついでに花見や俳句、スケッチを楽しむ人々の姿が見られる。初夏には清流にホタルが舞うという山田地区を歩きながら、この地をめでたであろう姫に思いをはせた。

■菊姫祭る地蔵尊

 JR赤間駅から車で15分ほど。かつて宗像氏の城があった「白山城跡登山道入口」の看板の奥に石段が見えた。戦国期に宗像家のお家騒動に巻き込まれ、惨殺された菊姫と母、侍女の6人を弔う「山田地蔵尊」だ。

 1551年、長門(山口)の大内義隆に仕えた陶晴賢が謀反を起こし、義隆は自刃した。古くから宗像一帯を治めていた宗像氏はこのころ、大内氏に属していた影響で家督争いが起きた。翌年春、山田の館で月見をしていた菊姫たちを刺客が襲う悲劇が起きた。地元では「山田事件」と呼ばれる。その後、家中で変死や病が続いたため、菊姫たちの霊をまつるために6体の地蔵が刻まれ、地蔵尊ができたという。

 「菊姫さまの話は昭和になっても伝わっていました。事件があったのは23日の夜、菊姫さまが洗髪して月を眺めていたときだったといい、私の祖母は『23日の夜に女性が髪を洗ってはいけない』と言っていました」。地域グループ「白山城址を守る会」副会長の男性(71)が話す。

 地蔵尊は今、子育ての御利益で知られる。境内はヤマザクラとモモが満開で、ソメイヨシノがほころびかけていた。

PR

九州ニュース アクセスランキング

PR