「蒙古襲来絵詞」の舞台【塩屋橋・福岡市城南区】

※記事は2015年7月11日付本紙朝刊から。文中の年齢、肩書、名称などの情報はすべて掲載当時のものです※

 福岡市中央区と城南区にまたがる鳥飼地区。都心に近い住宅地のイメージだが、その昔、2度も外国からの攻撃で戦火に見舞われた。1274年の文永の役では元軍が襲来し、太平洋戦争末期の1945年には米軍の空襲に遭った。

 「元寇(げんこう)」といえば、この絵を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。絵巻物「蒙古襲来絵詞(えことば)」の一場面。矢が刺さり苦しむ馬の上で、肥後国の御家人、竹崎季長が奮闘している。この舞台が実は鳥飼にある。

 蒙古襲来絵詞には、季長は「鳥飼の汐干潟」から元軍を追い、「鳥飼の塩屋の松」で合戦となった、とある。手掛かりを求めて、13世紀当時の復元地図を広げた。

 現在の鳥飼地区の北側には海が迫り、深く陸側に入り込んでいる場所が鳥飼の汐干潟とある。では「塩屋」はどこか。大正時代に樋井川に架けられた「塩屋橋」にその名をとどめる。また1948年当時の地図では、現在の鳥飼5丁目の一部が「塩屋町」となっている。

 塩屋橋から歩いて5分ほどのところにある埴安(はにやす)神社。中をのぞくと、流木のような形をした扁額(へんがく)がある。近くの鳥飼八幡宮によると、古くなって倒れた塩屋の松を、地域住民が扁額にして残したと言い伝えられているという。事実なら、700年以上前に立っていた松の一部。

 大正時代には炭鉱もあった。市営中浜町住宅や鳥飼小の場所には、ぼた山が戦後まで残っていたという。ぼた山は戦時中、旧日本軍の施設になった。

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