原発回帰追従判決…闘う覚悟強めた福島避難者

 多くの人から日常を、そして古里を奪ったあの事故から10年。原発停止の願いは届かなかった。九州電力玄海原発3、4号機(佐賀県玄海町)の設置許可取り消しなどを求めた二つの訴訟で、原告側の請求を退けた12日の佐賀地裁判決。東京電力福島第1原発事故の後、福島市から九州に避難した原告団メンバーの男性は問い掛ける。事故から何を学んだのか、と。 

 福島市から千キロ以上離れた長崎市の離島・高島。家族5人で暮らす木村雄一さん(60)は判決の日、原告団が地裁前で開いた集会をインターネット中継で見守った。目に飛び込んできたのは「不当判決」の文字。「子の成長を見ていると早い10年だった。でも、国や司法は変わらないのか」。やるせなさをにじませる。

 10年前の3月11日。福島市の自宅で1月に生まれたばかりの長女を風呂に入れた途端、激しい揺れに襲われた。妻も娘も無事だったが、故郷の宮城県石巻市では両親が大津波にのまれ、行方不明になった。

 翌12日、人生を翻弄(ほんろう)する出来事が起きた。福島第1原発で水素爆発。放射性物質が福島市にも降った。市内で経営するライブハウスは軌道に乗ったばかり。両親とは連絡がつかない。避難するか、とどまるか。悩み続けて49日後、娘の健康を最優先に考え、自主避難を決断した。2011年6月、避難者を受け入れていた佐賀県鳥栖市に一家で移った。

 原発から離れたはず、だった。移住後、鳥栖市から約60キロ先に玄海原発があることを知った。福島の自宅と福島原発の距離も約60キロ。自身の選択を悔いつつも、前を向く。「福島の状況を訴えよう」。事故から1年後に原告団に加わった。

 各地の集会にも積極的に参加し廃炉を訴えたが、社会は原発の再稼働に進んだ。「前代未聞の事故は収束していないのに」。原発への不安がぬぐえず、13年春、高島に転居した。

 人口330人余りの島には、当たり前だったコンビニはない。「便利なライフスタイルが最高。幸せイコールお金」の人生観はがらりと変わった。九電の玄海原発や川内原発(鹿児島県薩摩川内市)から約100キロ離れた島でカフェやゲストハウスを営み、壊れた生活の再建に集中した。

 「遠く離れても、福島を忘れたことはない」。高島が近代炭鉱の発祥地と知り、炭田から原発に産業転換した福島とのつながりを意識するようになった。

 判決を受けて、逆に力が湧いてきた。脱炭素が世界的な潮流の今、なし崩しに「原発回帰」が進むことに危機感が募る。「福島の事故で避難した者だから訴えられる言葉がある。九州から原発ゼロを目指す」。何年かかろうと、闘い続ける覚悟だ。 (金子晋輔)

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