“幻の知事選候補"東京で追った2週間

東京ウオッチ】取材手記#福岡自民分裂回避

 「全部、私の責任だよ」-。小川洋知事の辞職に伴う福岡県知事選(25日告示、4月11日投開票)に出馬表明の記者会見を予定していた当日の夕暮れ、その人は一転、疲れ果てた表情でぽろっと漏らした。元国土交通省局長の奥田哲也氏(59)=都内在住。自民党の候補者選定の渦中で翻弄され、8日に二階俊博幹事長の出馬見送り要請に応じた後、私と向き合った時のことだ。結局、自民推薦は12日、副知事の服部誠太郎氏(66)にもたらされた。東京で奥田氏の動向を追ったこの2週間を振り返る。(郷達也)

 2019年4月。小川洋氏が3選を決めた前回知事選は、麻生太郎副総理兼財務相や自民党県議団が元厚生労働官僚の新人を擁立したのに対し、武田良太総務相らが政財界とともに現職の小川氏を支援。激しい保守分裂選挙となり、自民内にしこりを残した。今年2月、肺腺がんで入院中の小川氏が辞表を提出したことにより急きょセットされた県知事選の最大焦点も、自民が誰を擁立するかにあるのは衆目の一致するところだった。

 2月24日         

 福岡県選出の自民党衆院議員8人が夜、東京・赤坂の議員宿舎で県知事選の第1回会合を持った。この場で、武田良太総務相が「奥田という腹を決めた人がいる」と切り出し、奥田哲也氏の名前を初めてテーブルに載せた。メディア各社も取材に着手し、福岡から東京に応援派遣された他社の記者も参戦して烈(しれつ)な取材合戦の幕が切って落とされた。

 2月25日         

 西日本新聞の奥田氏担当となった私は、奥田氏が専務理事として勤める運輸総合研究所(港区虎ノ門)で、取材相手を待って接触を図る「張り番」を行っていた。3時間ほど待機した後の午後0時半ごろ、研究所ホームページの写真で事前に確認していた奥田氏らしき年配男性が、外出先から戻ってきた。同様に張り番をしていた他社の記者1人と一緒にエレベーターに強引に相乗りし、話し掛けると男性はやはり奥田氏だった。取材交渉に対し、奥田氏は「少しだけなら」と自室に招き入れてくれた。

 「やってみろということなら、前向きに考えている。小川県政を継承する立場でやりたい」

 奥田氏はこう話し、出馬を検討していることを認めた。小川氏の後継者という位置付けで既に服部誠太郎氏の名前が挙がっていたが、私は直感で、たとえ自民分裂選挙になっても奥田氏は出馬する気概だな、と受け止めた。

 官僚出身者は「お堅いイメージ」との先入観を持っていたが、奥田氏は私たちの質問に丁寧に受け答えし、フランクで人当たりの良さを感じた。福岡県久留米市出身でもあり、注目も高まるだろう。私はこの日午後、「ニュースサイト 西日本新聞me」で、「元国交省局長の奥田氏が出馬検討」と奥田氏が県知事選候補として浮上していることを報じた。

 2月25、26日       

 私を含む東京支社報道部取材班は、福岡県知事選に立候補するかもしれないとの観測があった別の人たちに確認取材を重ねた。前東京都知事の舛添要一氏、前宮崎県知事の東国原英夫氏らに電話を突っ込み、それぞれから「出馬しない」との回答を得た。有力候補は服部氏と奥田氏に絞られた、との確信が強くなった。自民分裂か、どちらかが降りて自民一本化か、情勢はいまだ流動的だった。

 3月2日          

 「奥田氏は出馬しないのではないか」とのうわさが福岡で流れ始めた。確度を探るため、奥田氏の番号を鳴らし続けていた私の元に、ようやく折り返しの電話が入った。

 「今、自宅近くまで来させてもらっている。会えないでしょうか」(私)

 「きょうは時間が取れません」(奥田氏)

 手を替え品を替えて10分ほど会話をつないだ後、直球勝負で不出馬のうわさをぶつけてみた。すると-。

 「前向きにやっている。正式に出馬表明しないと間に合わない。ポスターを作ったりとかしている」

 うわさを完全に打ち消す奥田氏の張りのある声に、私は正直驚いた。やはり、やる気だ。真偽不明の情報戦に惑わされないよう、自分の目、耳、足で稼いだ事実を積み重ねることが大切なんだと再認識した。

 3月3日          

 奥田氏が永田町の議員会館で、福岡県選出の衆参自民議員13人の全事務所をあいさつ行脚した。夕方、終わったところを一対一でつかまえると、「日本をリードできるよう元気な福岡、強い福岡を目指し、全力で頑張りたい。不退転の覚悟でやる」。奥田氏は出馬意思を明確に示し、近く福岡市内で記者会見して正式表明するとも強調した。私はためらいなく翌日4日の朝刊用と西日本新聞meに「奥田氏も出馬へ」の記事を出稿した。

 会見に先んじて選挙報道の準備を進めてしまおうと、私と同僚はその場で奥田氏の顔写真を撮影させてもらった。選挙紙面で使用するため、立候補予定者に経歴などを記入してもらう調査票も渡し、返送を依頼した。

 一通りの取材を終え、「自民分裂選挙か…」と率直に思った。今後、奥田氏が自民党に推薦願を出せば、服部氏とどちらが推薦を勝ち取るかを巡る、他社との「抜き合い」勝負になるのは避けられない。地元紙として絶対に後れを取るわけにはいかぬ。一層、気を引き締めた。

 3月7日          

 出馬表明に向けた水面下の地ならしのため、福岡入りしていた奥田氏が突如、東京へ舞い戻った-。福岡県政担当の同僚からそんな連絡が来た。何か、不穏な感じが胸をよぎった。私は奥田氏に電話やメールを入れたものの、返事はなかった。

自民党本部(東京・永田町)

 3月8日          

 午前10時24分、国会記者会館内で業務中だった私は奥田氏に再びメールを送った。「奥田さんがいつ表明されるかに関心が高まっております。ご連絡いただけないでしょうか」。また、なしのつぶてだった。

 おかしい。何かが起きている…。

 午後0時20分、私のスマートフォンがようやく鳴った。液晶に映った名前は奥田氏ではなく、武田良太総務相側近の自民党衆院議員、宮内秀樹氏だった。

 「この後、奥田氏が二階俊博幹事長を訪問する。各社に連絡してほしい」。メモを取る手が一瞬、止まった。ああ、既にさいは振られたのだと悟った。

 午後1時20分、永田町の自民党本部に奥田氏が姿を現した。最後の5日前に見た面ざしとは異なり、険しさがべったり張り付いていた。“幻の知事選候補”はまっすぐに、菅義偉政権のキングメーカー、老練な政治術を誇る自民党ナンバー2の待つ部屋に消えていった。

 「次がある。分裂回避、福岡のために協力してくれないか」と出馬見送りを求められた奥田氏は、二階氏との面会直後、記者団の「ぶら下がり取材」に応じ、一転して出馬断念を表明した。本来はこの日、福岡県庁で立候補の記者会見をするつもりだったことも明らかにした。

 「古里のために出馬したいと話されていたが、(自民支援がなくても)一点突破して出馬する気持ちはなかったのか」(私)

 「そういう志でありましたけれども、やはりそういった二階幹事長からのお言葉というのをですね、直接、私ごときに向けておっしゃっていただけたというのは、非常に重く受け止めなければいけない、ということであります」(奥田氏)

 10分弱の取材を終えた奥田氏は、私に「また連絡します」と言い残して党本部を後にした。私は、「出馬へ」の報道が覆ったことに何とも言えない思いを抱きながら、西日本新聞meに「奥田氏が一転不出馬表明」と速報した。

 その夜。奥田氏と1時間ほど、さしで腹を割ってやりとりした。いわゆる「オフ・ザ・レコード」取材のため、残念ながら公にできない内容がほとんどである。それでも、どうしても記録にとどめておかねばならない言葉があると思った。この2週間の出馬騒動、すったもんだの「戦犯は誰か」と尋ねた際、出てきた冒頭の嘆息だ。「最後は私ですよ。全部、私の責任」

 胆力が生む潔さであったのか、底深い絶望の嘆きであったのか。奥田氏は、片足を掛けた知事選の舞台から降りた。

     ◆      

 2年前のような保守分裂選挙は回避され、福岡県選出の自民党国会議員、県議らは一様に胸をなで下ろす。だが、奥田氏を巡る“政局”は、有権者が1票を託す選択肢を一つなくしてしまう結末を見た。「県民不在」と指摘されても仕方あるまい。

 知事選は告示まであと10日余り。新型コロナウイルス禍の中で福岡県の将来をどう描くのか。県民目線の分かりやすい政策論争が展開されることに、期待をつなぎたい。

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