なぜここに「朝鮮式の城」【大野城跡・宇美町】

※記事は2007年11月14日付本紙朝刊から。文中の年齢、肩書、名称などの情報はすべて掲載当時のものです※

 福岡県太宰府市教委文化財課は十三日、同市四王寺山にある特別史跡・大野城跡で、飛鳥時代から奈良時代のものとみられる城門跡が出土したと発表した。大野城跡の城門出土は七カ所目だが、九州の古代山城跡の城門の内側通路で石段、石敷きがそろって確認されたのは初めてという。

 大野城跡は朝鮮式の古代山城跡。大陸からの唐・新羅連合軍の侵攻に備え、天智天皇が大宰府を防衛するために飛鳥時代の六六五年ごろ築かせたとされる。太宰府市、大野城市、宇美町にまたがる四王寺山の標高三百㍍前後の尾根に総延長約八㌔に及ぶ土塁、石垣などが確認されている。

 今回、発見された城門跡は、標高約三百二十㍍の南東斜面で、兵糧などを保管する倉庫があった尾根上の増長天跡から南に約百五十㍍地点。増長天とふもとにある観世音寺などを結ぶ道路上に位置する。

 二〇〇三年七月の集中豪雨で土塁がある斜面が崩落。その復旧工事に伴う、今年九月からの調査で奈良時代の瓦、柱穴、石段、石敷き、石垣とともに出土した。
 城門は高さ一・九四㍍、幅四・三㍍、奥行き九・八五㍍。城門の上部と下部をつなぐ内側通路で石畳のような石敷き(長さ約五㍍)と石の階段(十段)が見つかった。石は花こう岩で現地産とみられる。

 小田富士雄・福岡大学名誉教授は「九州の古代山城跡城門の内側通路で石段とともに石敷きが発見された例はなく、当時の山城跡を解明する貴重な発見」と話している。

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