福岡沖地震16年…玄界島復興半ば 人口減あえぐ

 福岡、佐賀両県で最大震度6弱を記録し、1人が死亡、約1200人が重軽傷を負った2005年の福岡沖地震から20日で16年。家屋の7割が全半壊した福岡市西区の玄界島は、わずか3年で希望者全員の帰島を果たしたが、人口減に歯止めがかからない。新型コロナウイルスが主産業の漁業に打撃を与える中、島民たちは島の暮らしを守るために模索を続ける。

 「漁業がだめになってしまうと、この島は生き残っていけない」。玄界島では冬場、タイやブリなどの高級魚の漁が盛んになる。だが、この冬、漁師たちの表情は険しい。

 新型コロナ感染拡大で1月、緊急事態宣言が福岡県に再発出されると、飲食店の営業時間短縮などで高級魚の需要が減り、競り値が半分から3分の1に落ち込むことさえあった。

 「出漁しても、利益が出ないばかりか赤字になるときもある」。はえ縄漁を営む宮川幸大さん(47)は、この窮状が漁業の担い手不足に拍車を掛けないか危機感を抱く。漁師が減るきっかけとなった地震後の不漁の記憶と重なるからだ。

 地震発生の2年後、島の漁獲額は地震前の6割まで落ち込んだ。海況の変化が原因とみられ、不漁が続いた。行政の支援で定置網を設けるなどし、漁師1人当たりの漁獲額が地震前の水準に戻ったのはここ数年のこと。地震前に150人余りいた漁師は約100人にまで減った。

 漁業の低迷とともに島の人口も減少した。地震前の700人が現在は400人を切る。65歳以上が占める割合は5割に迫る。島の玄界小中学校は地震直後の05年度に17人の中学生がいたが、20年度は4人、21年度には2人となる。

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 玄界小中学校のPTAメンバーと学校職員は昨年12月、福岡県宗像市の離島、地島に渡った。地島では、島外の子どもが寮母と共同生活し、地島小に通う「留学制度」を導入。この制度の研究を始めたのが、19年度にPTA会長を務めていた漁師の宮川さんだ。

 「島民の力だけではどうにもならない。豊かな自然を生かし、移住者を受け入れないと。留学制度を島の復興のシンボルにしたい」。その思いが広がり、20年度の地島視察につながった。ともに地島を訪れた川邉潤二校長にも父母の声が寄せられるようになった。「子どもと一緒に、家族も移り住んでもらいたい」

 家族での移住を促すには働く場も必要になる。若い世代が島で漁業に就けるように宮川さんは「漁協と方策を考えたい」という。

 地震から16年。「一日も早く元の生活に戻りたい」。住宅再建を行政任せにせず、島民総会を開いて道筋を定め、全員帰島を短期に成し遂げた島民の強い団結力。いま一度呼び起こし動きだすときが来た。 (下村佳史)

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